序章 ポプラの並木道

北ブラバント州の秋は、空が低くなることから始まる。

アイントホーフェンの北に広がるメイエライの平野には、視界を遮る山がひとつもない。見渡すかぎりの牧草地とトウモロコシ畑の境には、規則正しく植えられたポプラの並木がどこまでも続き、西からの湿った風に、葉を銀色に裏返している。

その灰白色の樹皮と柔らかな木肌は、かつてこの地方の農家が冬の副業に削り出していた木靴——クロンプの材料になってきた。畑の泥を吸い、牛の蹄の音を聞きながら、人々は何世代にもわたってこの平らな砂地に家を建て、教会の鐘に合わせて一日を終えてきた。

私がその村の中心にある赤煉瓦の建物を借りたのは、一九八八年の十月だった。

二十二歳だった私は、近くの町の小さな織物の作業所に勤めていて、親元を離れて初めて一人で暮らそうとしていた。

村の広場に面したその家は、十九世紀に建てられた細長い平屋で、もとは木靴職人の工房と倉庫を兼ねた一軒の建物だったという。それを戦後、真ん中に煉瓦の壁を一枚通して、二軒の住まいに仕切ったものだった。

私が借りたのは、広場に向かって右側の半分だった。

高い切妻屋根の下に、細長い居間と小さな台所、そして奥に寝室が一つあるだけの、簡素な間取りだった。

左半分には、村の農協を退職した物静かな老夫婦が暮らしていた。

壁一枚隔てただけなのに、古い煉瓦の壁は思いのほか厚く、隣の暮らしの音はほとんど聞こえなかった。

聞こえるのは、風がポプラの梢を揺らす乾いたざわめきと、広場の向かいの教会の塔が一時間ごとに打つ、重い鐘の音だけだった。

引っ越して最初の数週間、私は自分の城を手に入れた喜びに浸っていた。

古い松材の床にワックスを塗り、蚤の市で見つけた小さな布張りの椅子を置き、寝台の脇には陶器の小さな電気スタンドを置いた。

冬が近づくにつれ、村は朝ごとに深い霧に包まれるようになった。

牛の白い息が柵の向こうに立ちこめ、湿った冷気が煉瓦の隙間から染み込んでくる。

私は毎晩、古い鋳鉄のストーブに石炭をくべ、毛布を二枚重ねて寝台にもぐり込んだ。

朝は七時に家を出て、広場の角のパン屋で丸パンを二つ買い、自転車で並木道を二十分こいで作業所へ通った。

作業所では、染め上がった羊毛の糸を太さごとに巻き分け、傷のあるものを弾いていく。単調な仕事だったが、指先で糸の撚りを確かめているあいだは、何も考えずにいられた。

夕方に帰ってくると、隣のおばあさんが、ときどき戸口の前に小さな包みを置いておいてくれた。焼きたてのアップルケーキだったり、自分の畑で採れたリーキだったりした。

「一人じゃ、ろくなものを食べないでしょう」

垣根越しにそう笑う彼女の手は、畑仕事で節くれだっていた。

私はこの村と、この家が、とても好きになりかけていた。

異変が始まったのは、十一月の半ば、初めて霜が降りた火曜日の夜だった。

第一章 寝台の脇

私は子供の頃から、季節の変わり目になると気管支を痛めやすく、一度風邪をひくと微熱がだらだらと続く体質だった。

その夜も胸の奥に重い痛みを覚え、薬草のシロップを一匙飲んで、早々に寝台にもぐり込んだ。

体温計は三十七度八分を指していた。

熱で身体が鉛のように重く、毛布の中でかすかに汗をかきながら、私は浅い眠りの中を漂っていた。

ふと、目が覚めた。

夢から覚めたという感じではなかった。部屋の空気が、急に別の重みを持って固まったかのような、唐突な目覚めだった。

部屋は暗かった。

カーテンを引いた寝室には、広場の街灯の光も届いていなかった。

だが、その暗闇の中に、まわりの闇よりわずかに濃い、三つの人影が立っていた。

寝台の右脇、壁とのあいだの一メートルほどの隙間に、二人が並び、その少し後ろ、足元に近いところに、もう一人が立っていた。

私の顔から、五十センチも離れていなかった。

大人の男の背丈だった。

三人は身じろぎもせず、まっすぐに立っていた。腕を体の脇に垂らし、顎を引いて、寝台に横たわる私の顔を、斜め上からじっと見下ろしていた。

息が止まった。

叫ぼうとしたが、喉の奥が固まって、掠れた息しか出なかった。

金縛りではなかった。手足の指は動かせた。

けれど、三つの影から伝わってくる気配があまりに濃くて、指一本動かすことさえ許されていないような気がした。

男たちは、何も言わなかった。

手を伸ばしてくることもなく、ただ、そこに立っていた。

暗がりの中で、顔の細かいところは見えなかった。深く落ちくぼんだ目のあたりと、こけた頬の輪郭だけが、ぼんやりとした灰色の陰になって浮かんでいた。

着ているものは、村の人たちが着るようなセーターやオーバーではなかった。

厚手の粗い布で仕立てた、くたびれた外套だった。色ははっきりしなかったが、泥を吸って色の抜けた、くすんだ灰色に見えた。

何秒経ったのか、何分経ったのか、分からなかった。

私は震える右手を毛布の下から滑り出させ、枕元の小さなテーブルの上を手探りした。

指先が陶器のスタンドに触れ、コードの途中の小さなスイッチを弾いた。

かちり。

橙色の電球が灯った。

薄暗い光が、寝室の白い漆喰の壁と、私が脱ぎ捨てたカーディガンを照らし出した。

誰もいなかった。

寝台の脇の狭い隙間には、敷いたばかりの小さな毛織のマットが、少しも乱れずに横たわっているだけだった。

部屋の中には、私の荒い呼吸と、ストーブの中で石炭が小さく爆ぜる音だけが残っていた。

私は額の汗を拭い、波打つ胸を押さえながら、朝まで明かりを消すことができなかった。

熱のせいだ、と自分に言い聞かせた。気管支炎の熱が頭をぼんやりさせ、古い家具の影と夢の名残りが結びついて見せた、ただの幻なのだと。

私は薬の瓶を引き寄せ、震える手で、二匙目のシロップを喉に流し込んだ。

第二章 灰色の気配

だが、それは一度きりの悪い夢では終わらなかった。

熱がすっかり下がり、ふだんの暮らしに戻ったあとも、彼らは現れた。

決まって、深夜の二時から三時のあいだだった。

毎晩ではない。一週間に一度か、二度。

雨の夜や、風が強くポプラの枝が屋根を擦る夜よりも、むしろ外がしんと冷え込み、教会の鐘が冴え冴えと響くような夜に、彼らは現れた。

ある夜は、目を覚ましたときにはもう、枕元に立っていた。

またある夜は、寝返りを打った拍子に、暗闇の濃さがふっと変わるのを感じて目を開けると、三つの影が、いつもの距離で私を見下ろしていた。

立つ位置は、いつも同じだった。

手前に、肩幅の狭い小柄な男。その隣に、頭ひとつ背の高い男。そして少し下がったところに、背中を丸めた三人目。

三人は一度も姿勢を変えなかった。互いに目を見交わすこともなく、ただ、私の顔の一点を見つめていた。

回数を重ねるうちに、私の恐怖は、奇妙なしびれと、見つめ返す気持ちへと変わっていった。

彼らに私を傷つける気がないことは、はっきりしていた。

首を絞めようとするでもなく、毛布を剥ごうとするでもない。

ただ、そこに「いる」だけだった。

暗闇に目が慣れてくると、身につけているものの形が、少しずつ分かるようになった。

外套の襟は詰まっていて、ボタンが鈍く光を吸っていた。肩のあたりの布はほつれ、裾のほうは泥で固まっているように見えた。

そして、その顔。

怒りではなかった。悪意でも、恨みでもなかった。

こけた青白い顔に張りついていたのは、果てしない疲れと、どこへも行くことのできない者の、底知れない諦めだった。

寒さと空腹に痛めつけられ、長い道のりの果てに気力をすっかり使い果たしてしまった、若い男たちの顔だった。

その目は、私を見ているというより、私の向こうにある、自分たちを受け入れてくれない冷たい世界の広がりを、ぼんやりと見ているようだった。

十二月の寒い夜、目を覚ました私は、あえて明かりをつけなかった。

心臓は早鐘を打っていたが、毛布を顎まで引き上げたまま、暗がりの三つの影を見つめ返した。

「……誰なの」

声に出して聞いた。

声は冷えた寝室の空気に吸い込まれて、小さく震えた。

男たちは動かなかった。何の答えもなかった。

ただ、部屋がいつもより二度か三度冷たくなっていることだけが、肌に伝わってきた。

ストーブの熾火が小さく赤く瞬き、その光が、一番手前の小柄な男の顎の線を一瞬だけかすめた。

髭の剃り跡が青く残り、唇は乾いてひび割れていた。

私とそう歳の変わらない、二十歳前後の青年の顔だった。

私は目を閉じ、心の中で主の祈りを一度だけ唱えた。

しばらくして目を開け、スタンドのスイッチを入れたとき、影はもう消えていた。

古い松材の床の上に、冬の夜気だけが静かに溜まっていた。

クリスマス・イブの夜、私は隣の老夫婦に誘われて、向かいの教会の真夜中のミサに出た。

蝋燭の灯りに照らされた聖堂は人でいっぱいで、オルガンの低い音と、古い讃美歌を歌う村の人たちの声が、高い天井に満ちていた。

祭壇の脇の壁には、戦争で亡くなった村の人たちの名を刻んだ、小さな石の板がはめ込まれていた。私は歌いながら、その名前の列を、ぼんやりと目で追っていた。

その夜、家に戻って眠りについたあと、二時過ぎに、また目が覚めた。

三人は、いつもの場所に立っていた。

けれど、その夜だけは、手前の小柄な男が、私の顔ではなく、窓の外——教会の塔のほうへ、わずかに顔を向けているように見えた。

鐘は鳴っていなかった。村じゅうが寝静まった、音のない夜だった。

第三章 街道の記憶

私はそのことを、誰にも話さなかった。

母に話せば、すぐに家を引き払って帰ってこいと言われるに決まっていたし、職場の同僚に話せば、頭がおかしくなったと思われるのが落ちだった。

隣の老夫婦にも言えなかった。庭先で顔を合わせるたびに、「よく眠れているかい」「寒くはないかい」と優しく声をかけてくれる二人の穏やかな暮らしに、そんな不気味な話を持ち込む気にはなれなかった。

私は一人で、村の歴史を調べ始めた。

週末になると自転車で隣町の小さな図書館へ通い、北ブラバントの郷土史の本や、古い新聞をめくった。

郷土史の棚の前で何度か顔を合わせるうちに、図書館の年配の女性司書が、声をかけてくれるようになった。

「若い人が、この辺りの昔のことを調べるなんて珍しいわね」

私が村の名前を言い、一九四四年の秋のことを知りたいのだと言うと、彼女は資料を何冊か選んで持ってきてくれた。

「ドイツの兵隊が、村に隠れていたような話はありますか」

何気なくそう尋ねると、彼女の手が一瞬だけ止まった。

「……そういう話は、たいてい本には載っていないの。書いた人がいないから」

彼女はそれだけ言って、別の棚のほうへ行ってしまった。

村のあるこの一帯は、一九四四年九月、連合軍の空挺作戦「マーケット・ガーデン作戦」の舞台になった土地だった。

アイントホーフェンからフェーヘル、ナイメーヘンを経てアーネムへと至る一本の街道を確保するため、何千人ものアメリカ軍の空挺兵が、この平野の畑や牧草地に落下傘で降りた。

北へ向かう連合軍の戦車や車両が連なるその一本道は、両側の林や畑からドイツ軍の反撃を受けて、何度も断ち切られた。兵士たちはその道を、「地獄のハイウェイ」と呼んだ。

九月十七日に作戦が始まってから、一帯が解放されるまでの数週間、村々は戦場になった。農家の納屋やポプラの林、教会の墓地のまわりで、昼も夜も小さな戦闘が繰り返された。

その混乱の中で、本隊からはぐれた兵士たちが、土地の地理も分からないまま、泥の中をさまよっていたという。

図書館の白黒写真の中に、泥まみれの外套を着て、地面に座り込んでいる若い兵士たちの姿があった。

ヘルメットを脱ぎ、うつろな目でカメラを見つめるその顔は、どちらの軍の兵士なのか、キャプションを読むまで分からなかった。

そして、寝台の脇に立っていたあの男たちの面影と、痛ましいほど重なっていた。

あの三人が何者なのか、私には分からなかった。

けれど、敵や味方という呼び名より前に、帰る道を見失った若者たちだったのではないか。そう思うと、夜中に目を覚ましたときの恐怖は、いつしか胸を締めつけるような、重い哀しみに変わっていった。

春が来て、ポプラの枝に淡い緑の若葉が出る頃になると、彼らが現れる夜は目に見えて減っていった。

二月の終わりには、ブラバントのどの村でもそうするように、この村でもカーニバルの祭りがあった。

三日三晩、広場には楽隊の太鼓と金管の音が鳴り響き、仮装した人たちが酒場から酒場へと練り歩いた。私の家の窓の下でも、夜更けまで笑い声と歌が絶えなかった。

その三晩、私は一度も夜中に目を覚まさなかった。

祭りが終わった翌週の、しんと冷えた夜に、彼らはまた一度だけ現れた。三人は、前よりも少しだけ、寝台から離れたところに立っていた。

五月、窓を開けると牧草の甘い匂いが部屋を満たすようになると、彼らはまったく現れなくなった。

その年の秋、私は職場が変わったのを機に、その家を出て、アイントホーフェンのアパートへ移った。

引き払う朝、空っぽになった寝室の床を箒で掃きながら、私は寝台のあった角に向かって、小さく頭を下げた。

それからあとも、あの灰色の影が私の前に現れることは、二度となかった。

第四章 カフェの長椅子

それから三十年以上が過ぎた。

二〇二一年の十月、私は用事があって、久しぶりにあの村を訪れた。

道沿いの牧草地には真新しい太陽光パネルが並び、トウモロコシ畑の向こうには大きな物流倉庫が建っていたが、村の中心の教会の尖塔と、広場のたたずまいは、昔のままだった。

教会の向かいの、あの赤煉瓦の建物は、すっかり姿を変えていた。

真ん中の仕切り壁は取り払われ、全体が改装されて、自転車の修理店を兼ねた小さなカフェになっていた。

木靴工房の頃の面影を残す高い梁には、真新しい照明が取りつけられ、私の寝台があったあたりの角には、客がくつろぐための革張りのソファーが置かれていた。

私は店の隅の席に座り、温かいコーヒーを頼んだ。

平日の午後で、店には私のほか、カウンターの端でビールを飲んでいる老人が一人いるだけだった。

青い作業着の上にチョッキを羽織り、深い皺の刻まれた顔の前で、パイプの煙をくゆらせている。

コーヒーを運んできた店主——ウィレムと名乗った初老の男に、私は思い切って話しかけた。

「すてきなお店ですね。実は私、三十年以上前、ここが二軒に分かれていた頃に、右側の半分に住んでいたんです」

ウィレムは目を丸くして、人懐っこく笑った。

「へえ、あの頃をご存じですか。じゃあ、隣のデ・フォスさん夫婦のことも覚えているでしょう。お二人が亡くなったあと、親戚が建物をまとめて売りに出してね。私が買って、十年前に一軒につなぎ直したんですよ」

「昔は、木靴の工房だったそうですね」

「ええ、祖父の代まではね。このあたりはポプラがたくさんあったから、冬になると、村じゅうの男がここで木を削っていたそうです」

ウィレムは天井の梁を見上げた。

「つなぎ直すときに、仕切りの壁を壊したら、奥のほうの床下から、古い木靴の削りかけがいくつも出てきましてね。形になりかけのまま、ほったらかしにされたやつが。戦争で、誰かが仕事の途中で手を止めたんでしょう。

捨てるのも気が引けて、何足かは、あそこの棚に飾ってあります」

彼が指さした壁の棚には、白木のまま黒ずんだ、爪先の尖った木靴の削りかけが、三つ、四つ並んでいた。

私はそれを見て、なぜか目を逸らした。

その話が耳に入ったのか、カウンターの端の老人が、ゆっくりとグラスを置き、こちらへ椅子を引き寄せた。

「あんた、あそこに住んでいたのかね」

低い、ひび割れた声だった。

「ヤンさんですよ」と、ウィレムが私に耳打ちした。「この村のいちばんの古株です。戦争の頃のことも覚えている」

ヤンと呼ばれた老人は、濁った灰色の目で、私をじっと見た。

「右の半分だと言ったな。……奥の部屋で寝ていたのか」

「ええ。いちばん奥の、中庭に面した部屋でした」

老人はパイプの吸い口を噛み、しばらく黙っていた。

それから、店の天井のあたりに目をさまよわせながら、ぽつりと言った。

「……何か、見なかったかね」

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