序章 石炭煙の井戸底と、灰色のカミエニツァ

ポーランド中央部、かつて織物工業の爆発的な発展によって「約束の地」と謳われた都市・ウッチの冬は、大気そのものが冷たい鉛の粉末へと沈殿していくような暗鬱さに満ちている。

名高い目抜き通りであるピョートルコフスカ通りを一本外れ、アーチ状の暗い通路(ブラマ)をくぐり抜けると、そこには十九世紀末の栄華と退廃をそのまま凍結させたような、四方を五階建ての赤煉瓦の壁に囲まれた「井戸型中庭(ポドヴルコ・ストゥドニャ)」が口を開けている。

頭上を切り取られた四角い灰色の空からは、常に湿った雪混じりの小雨が降り注ぎ、家々の煙突から吐き出される低品質な褐炭(石炭)の酸っぱい煙が、中庭の底に逃げ場を失って淀んでいる。煤けた煉瓦、剥落した漆喰の隙間から覗く古い木骨、そして共用階段の手すりを伝って落ちる冷たい水滴。中欧の歴史が幾重にも塗り重ねられたこの街のカミエニツァ(重厚な集合住宅)は、昼間であっても薄暗い黄昏の中に沈み切っていた。

二〇一二年、ウッチ工科大学の機械工学部に通っていた学生であった私——カミルは、同じ学部の友人であるトメクとともに、安価な賃貸部屋を探してこのピョートルコフスカ通りの裏手にあるカミエニツァの一室へと行き着いた。

当時のポーランドの学生にとって、天井高が四メートル近くあるカミエニツァの部屋をルームシェアすることは、家賃を極限まで抑えるための最もありふれた選択肢であった。

築百二十年を超えるその建物の三階、中庭に面した一室。

重い鉄の鍵を二重に回して踏み込んだその部屋は、広大でありながら、奇妙なほど空気が張り詰めていた。

第一章 アンフィラードの終点、タンスで塞がれた扉

案内された住居は、中欧の古い建築様式である「アンフィラード(enfilade)」の構造を色濃く残していた。

独立した共用廊下というものが存在せず、玄関を入るとまず細長い台所があり、そこから第一の部屋、第二の部屋、そして一番奥の第三の部屋へと、扉一枚を隔てて一列に部屋が連なっているのである。前の住人の部屋を通り抜けなければ外へ出られないという不便さはあったが、家賃は一人あたり月三百ズウォティ(当時の日本円で一万円弱)という破格の安さであった。

手前の広い部屋をトメクが使い、私は最も奥にある、中庭の奥壁に面した薄暗い部屋を自室に充てることに決めた。

私の部屋は縦五メートル、横四メートルほどの広さがあり、隅には白磁のタイルを積み上げた巨大な暖炉(ピエツ・カフロヴィ)がそびえ立っていた。天井の漆喰には精緻なロゼット(円形浮き彫り)が施され、往時の富裕層の栄華を偲ばせていた。

だが、荷物を運び込んだ初日の午後、私はその部屋の西側の壁面に、明白な「異常」を見出さざるを得なかった。

西側の壁の中央。本来であれば、隣の階段室に面した別の住戸へと続くはずの二重開きの木製ドアが存在していた。

だが、そのドアの真ん前に、まるで壁の一部であるかのように、天井近くまで届く巨大なオーク材の洋服ダンス(シャファ)が据え付けられていたのだ。

タンスは黒ずんだニスで塗られ、手前には重厚な引き出しが何段も並び、大人の男が四人がかりで押しても一ミリも動かないほどの重量を誇っていた。タンスの左右の隙間からは、背後のドアの白い木枠と、金属のプレートで封鎖された鍵穴の一部が、わずかに覗いていた。

契約を交わす際、白髪交じりの大家——パヴェウ氏にそのことを尋ねると、老人は煙草の煙を吐き出しながら、さも当然といった口調でこう説明した。

「ああ、あの扉かい。気にする必要はないよ。共産党の時代にな、あの大きな屋敷を一家族用から細かく分譲したんだ。

あの奥の部屋はな、隣の階段室……つまりB階段の住戸に買い取られて、向こうの部屋と連結されたのさ。向こうの住人が自室側から出入りしているから、こちら側の扉は不要になってタンスで塞いだんだよ。向こう側から鍵が掛かっているから、開くこともない」

論理的な説明であった。

ポーランドの古い都市では、戦後の住宅難の時代に広大なカミエニツァが一室ごとに細切れに分割され、壁で仕切られたり、扉を塞いで別世帯に割り当てられたりした歴史が無数に存在する。

私は納得し、タンスの存在をただの不格好な壁面収納として受け入れることにした。

部屋の暖炉に石炭を放り込み、鉄の蓋を閉めると、赤い炎がパチパチと音を立てて冷え切った空気を温め始めた。窓の外では、ウッチの重い雪が、音もなく中庭の石畳を白く染め変えていた。

第二章 真夜中の足音と、鍵穴の向こうの呼吸

異変が始まったのは、入居から三週間が過ぎ、真冬の寒波が街を覆い尽くした十二月の半ばのことであった。

大学の試験勉強に追われていた私は、連晩のように机の電気スタンドの光の下で数式と格闘していた。

深夜二時を回り、古いカミエニツァ全体が死んだように静まり返る時間帯。

暖炉の石炭が白い灰へと変わり、部屋の温度が徐々に下がり始めた頃、ふと、耳元で奇妙な音が響いた。

カツン……カツン……カツン……。

硬い木材の床を、乾いた金属、あるいは硬質な木製の棒で小刻みに叩くような音であった。

音は、私の頭上の天井からでも、床下からでもなかった。

それは、私の背後——あの巨大なオーク材のタンスの、わずか数十センチの背板の向こう側から、極めて明瞭に響いていたのだ。

私はペンの先を止め、息を殺した。

カツン……ズザ……カツン……ズザ……。

音には、明確な規則性があった。

硬い棒を突く音に続いて、重い足を引きずるような湿った布の擦過音。

まるで、足の不自由な老人が、杖を突きながらゆっくりと部屋の端から端へと歩行を繰り返しているかのような律動。

タンスの背後の部屋から聞こえているのだ。

(隣の住人か……? こんな真夜中に、部屋の中を歩き回っているのか)

私はそう自分に言い聞かせた。大家の説明通り、向こう側はB階段の別の住人の生活空間なのだ。夜更かしの老人が暮らしていても何の不思議もない。

だが、音は歩行だけにとどまらなかった。

足音がタンスの直裏——まさに私の座る椅子の真後ろの壁際でピタリと止まった、その直後であった。

カリ、カリ、カリ……ガリッ。

木肌を引き裂くような、微細な音が響いた。

誰かが、タンスの背板、あるいは塞がれた木製ドアの内側の木枠に、自らの爪を立てて、執拗に引っ掻いているのだ。

人間が指先を立てて引っ掻く音。

カリ、カリ、カリ……。

その音は五分、十分と途切れることなく続き、静寂の底で私の鼓膜を針のように突き刺した。

悪寒が背筋を駆け抜けた。

隣の住人が、なぜ自室の壁を、それも他人の部屋との境界にある塞がれた扉の内側を、真夜中に爪で引っ掻き続けねばならないのか。

翌朝、私は目の下に濃い隈を作って起きてきたトメクに、昨夜の音について尋ねてみた。

トメクはトーストをかじりながら、怪訝そうに眉をひそめた。

「足音? 聞こえなかったな。俺の部屋までは届かないよ。……でも、お前の部屋の隣って、本当に誰か住んでるのか? 俺、この三週間、B階段の住人と中庭ですれ違った記憶がないぞ」

トメクの何気ない一言が、私の胸の中に冷たい氷の棘のように突き刺さった。

その日の午後、私は講義を終えた後、中庭を横切って隣の入り口——B階段の重い木製扉を押し開けた。

薄暗い螺旋階段を登り、三階へと至る。

私の部屋と背中合わせになっているはずの位置。

そこにあったのは、冷たい煉瓦の壁と、小さな配電盤のボックスだけであった。

扉が、存在しなかった。

B階段の三階には、二つの住戸の鉄扉が並んでいたが、部屋番号の配置と建物の平面図を頭の中で照合すると、その二つの扉はどちらも、中庭側ではなく通りに面した外側の区画へと繋がっていた。

私の部屋の西側の壁の向こう——あのタンスの背後の空間に該当する位置には、郵便受けも、呼び鈴も、部屋の入り口を示す扉の痕跡すら、爪の先ほども残されていなかったのである。

第三章 バールの一撃と、剥がれ落ちた漆喰

「パヴェウの爺さん、絶対に何か隠してる」

部屋に戻った私は、青ざめた顔でトメクに事実を告げた。

トメクもまた、私の切迫した表情にただ事ではない気配を感じ取っていた。

あのタンスの向こう側にある空間は、隣の住人の部屋などではない。外側からの出入口が完全に存在しない、建物の中に孤立した「空白」なのだ。

その夜、恐怖は臨界点へと達した。

午前二時十五分。

再び、あの足音が始まった。

カツン……ズザ……カツン……ズザ……。

今夜の音は、前夜よりも遥かに大きく、荒々しかった。

杖を突く音は次第に焦燥を帯び、やがて、タンスの背板を拳で内側からドンドンと激しく叩きつけるような打撃音へと変わった。

ドスンッ! ドスンッ!

タンスの引き出しの中で、私の衣服が振動でガタガタと音を立てる。

そして——聞こえてきたのだ。

タンスの隙間、塞がれた扉の木枠の亀裂を通して。

ヒュオオ……ヒュー……ヒュー……。

人間の深い、飢えたような喘鳴であった。

何日も水を口にしていない者のような、乾ききった喉笛から絞り出される呼吸音。

さらに、何重もの嗄れた声が、壁の向こうで重なり合って低く呟いていた。

ポーランド語ではなかった。

ドイツ語でもない。

それは、古びたイディッシュ語(東欧ユダヤ人の言語)の祈りの詠唱のような、湿った微小な呟きの連なりであった。

「トメク! 起きろ! トメクッ!」

私は耐えかねて隣室へと飛び込み、眠っていたトメクの毛布を引き剥がした。

トメクを私の部屋へと引きずり戻した瞬間、彼もまたその場に凍りついた。

タンスの裏側から響く引っ掻き音と、壁を叩く振動。それはもはや、気の迷いや建物の軋みなどで片付けられるレベルを完全に逸脱していた。

「……動かすぞ」

トメクが顔を蒼白にしながら、工具箱から大型の鉄製バール(鋼鉄の梃子)を掴み出した。

「中に誰かが閉じ込められてる。あるいは……何かがいる。この目で確かめなきゃ、俺たち二人とも発狂するぞ」

私たちはタンスの引き出しをすべて引き抜いて床に放り出し、空になった巨大なオークの枠組みに手をかけた。

「せーのッ!」

二人の青年が全体重をかけて押し引きする。

ギギギギギ……ッ!

百年間床に固着していたタンスの脚が、埃の積もったフローリングを引き裂くような悲鳴を上げて擦れ動いた。

十センチ、二十センチ。

タンスが手前へと引きずり出され、背後に隠されていた「扉」の全貌が、白日の下に——いや、電気スタンドの震える光の下に晒された。

現れた扉を目にした瞬間、私たちは息を呑んだ。

扉は、開かないように細工されていたのではない。

「絶対に外へ出られないように、こちら側から完全に封殺されていた」のだ。

二枚の木製扉の合わせ目には、太い鉄の角材が斜めに渡され、長さ十センチを超える巨大な鉄道用の犬釘のような角釘が、十数本も力任せに打ち込まれていた。

さらに、扉と枠の隙間という隙間には、黄色く変色した古い新聞紙と、生石灰を混ぜた漆喰が、ペースト状になって隙間なく塗り込められ、空気の流通すら遮断するように目張りが施されていたのである。

そして、その目張りの新聞紙の表面。

擦り切れた活字の隙間に、赤黒い、長年を経て酸化した「無数の手のひらの跡」が、内側からではなく、外側から力任せに押し付けられた状態で、幾重にも重なり合ってこびりついていた。

「おい……これ、戦前の新聞だぞ」

トメクが震える指先で、剥がれかけた紙片の年代を指差した。

『Kurier Łódzki(ウッチ急報)』——一九四二年二月。

その時であった。

目張りの石膏の隙間——釘で固定された木板の継ぎ目から、シュウゥゥ……という微かな隙間風とともに、この世のものとは思えぬ悪臭が噴き出してきた。

それは、真夏に腐敗した生肉の臭気と、長年密閉された地下室のカビ、そして乾涸らびた骨の粉末が混ざり合った、絶対的な「死の気配」であった。

バキッ!!

トメクが恐怖を怒声で塗り潰し、バールの鋭利な先端を目張りの隙間に突き立てた。

石膏が砕け散り、古い木材が悲鳴を上げて裂ける。

バールをこじ開けた幅数センチの亀裂の奥へ、私はスマートフォンのカメラのライトを差し込み、そのレンズの画面を覗き込んだ。

第四章 二重壁の奥底——一九四二年冬の遺留品

画面に映し出された光景を、私の脳髄は一生涯、消去することができない。

扉の向こう側に広がっていたのは、部屋などではなかった。

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