序章 マホルカの煙と、凍てつく針葉樹林

ロシア北西部、ヨーロッパロシアの最果てに広がるコミ共和国の冬は、人間が呼吸することすら拒絶するような絶対的な冷気とともに訪れる。

ウラル山脈の西麓を縫うように流れる大河・ペチョラ川の流域には、ヨーロッパ最大の原生林とされるタイガ(針葉樹の原生林)が地平線の果てまで連なり、真冬には気温が零下四十度を下回ることも珍しくない。

空気中の水蒸気が瞬時に氷結して微細な結晶となり、風もないのにキーンという金属音を立てて大気が軋む現象——現地の人々が「星のささやき」と呼ぶその凍てつく静寂の中にあって、人間の文明など、雪原に落ちた一片の燃え殻のように脆く、頼りない。

この極北の地では、軍の僻地勤務者、長距離トラックの運転手、地質調査隊員らによる、無骨で飾りのない実体験が古くから語り継がれている。その記憶の底に、ある元林業学専攻の青年によって書き残された長い手記が存在した。

題して、「タイガの冬営地、ペチカの前の二週間」。

それは、文明の光から数百キロメートル隔絶された北方の原生林の監視小屋で、彼が一頭の老いた猟犬とともに体験した、理性を凍結させるような悪夢の夜々の記録であった。

第一章 ペチョラ川の奥地、孤独な監視小屋

二〇一四年十月の末、サンクトペテルブルク森林技術大学の最終学年に在籍していた私——イリヤは、卒業論文の現地調査とまとまった生活費を稼ぐため、コミ共和国の森林保護区における「冬季滞在監視員」の職に応募した。

仕事内容は単純そのものであった。秋の伐採作業が終わり、春の雪解けを迎えるまでの半年間、積雪によって完全に陸の孤島となる奥地の監視小屋(コルダン)に単身で駐在し、密猟者の侵入監視と気象観測データの記録を行うというものである。

ペチョラ川の支流の船着き場から、森林保護区の監督官である初老の男・セルゲイの操る無限軌道の雪上車(ブラーン)に揺られること五時間。鬱蒼としたエゾマツとシベリアモミの原生林を切り開いた小さな平地に、丸太を荒々しく組み上げた一軒の小屋——「ズィモヴィエ(冬営小屋)」が姿を現した。

小屋の設備は、ソ連時代の名残を留めた無骨なものであった。

十畳ほどの板敷きの部屋の中央には、赤煉瓦を分厚く積み上げたロシア式の薪ストーブ——「ペチカ」が鎮座していた。壁際には頑丈な木製の寝台、油布を張った粗末な机、そして非常用の短波無線機。水道も電気もなく、灯りは灯油ランプ、水は近くの小川の氷を叩き割ってペチカの上で溶かして確保する。

「おい、学生さん。お前の相棒だ」

セルゲイが雪上車の荷台から引き降ろしたのは、灰色の毛並みに覆われた一頭の大柄なシベリアン・ライカであった。名を「ブーラン」といった。

尖った耳、引き締まった四肢、そして歴戦の狩猟犬特有の、感情を滅多に表に出さない鋭い琥珀色の瞳。

「ブーランは熊も恐れん優秀な番犬だ。だがな、犬が夜中に吠えたり、戸口から離れて部屋の隅へ逃げ込んだりしたら……決して外を覗こうとするなよ」

セルゲイは毛皮の帽子の下から、冗談とも本気ともつかぬ眼差しを私に向けた。

「ここはな、ウラルを越えてきた古い神々が、まだ眠りにつかずに彷徨っている土地だ。もし夜中にドアをノックされても、絶対に返事をするな。ペチカの火を絶やさず、朝の光を待つんだ」

セルゲイは予備の灯油缶と黒パン、サーロ(豚の脂身の塩漬け)、濃縮ミルクの缶詰を運び込むと、雪上車のエンジンを咆哮させ、白い雪煙の彼方へと去っていった。

次の補給隊がやってくるのは、二週間後。

私と老犬ブーランの、完全な孤独の生活が始まった。

最初の数日間は、拍子抜けするほど静かで、どこか詩的な日々であった。

朝、ペチカに白樺の乾燥薪をくべ、パチパチと心地よい爆ぜる音を聞きながら、濃い紅茶(チャイ)を淹れる。冷気で凍りついた窓ガラスには、シダの葉のような美しい氷の花が咲き乱れていた。

日中はスキーを履き、銃を肩に掛けて小屋の周囲数キロメートルを巡回する。雪の上には、ノウサギやテン、稀にオオカミの足跡が点々と刻まれているだけで、密猟者の気配など微塵もなかった。

夜になれば、ブーランはペチカの温もりが染み渡る床の上に丸くなり、私はランプの灯りの下で論文の手入れを進めた。

だが、十一月も半ばを過ぎ、北極海からの寒気団がウラル山脈を越えて雪崩れ込んできた日を境に、タイガの空気は牙を剥き始めたのである。

第二章 地吹雪(ブラン)の兆しと、バーニャの澱み

その日の夕刻、空は鉛色を通り越して、紫がかった異様な漆黒へと染まり始めた。

風が吹き始めた。

最初は梢を揺らす乾いた小枝の擦れ合う音に過ぎなかったが、夜を迎える頃には、何百台ものジェット機が低空を通過するかのような凄まじい地鳴りへと変わり、極北の猛烈な吹雪——「ブラン」が小屋を包囲した。

外気温計の針は、零下三十五度を指していた。

室内にいても、吐き出す息が白く濁り、ペチカの煉瓦から一歩離れれば、足元の床板から氷の針のような冷気が靴下を貫いて這い上がってくる。

そして、その吹雪が吹き荒れ始めた夜、私は敷地の片隅にある「ある建物」の異変に気づいた。

小屋から三十メートルほど離れたモミの木の陰に、もう一軒の小さな丸太小屋が建っていた。

ロシア式の伝統的な蒸気風呂——「バーニャ」であった。

過酷なタイガの生活において、薪を焚いて熱した石に水をかけ、白樺の小枝(ヴェーニク)で体を叩いて血行を促すバーニャは、衛生と健康を保つための不可欠な施設であった。

だが、セルゲイは去り際、そのバーニャについて奇妙な言葉を残していたのだ。

「あの風呂小屋は、先代の監視員が建てた古いものだ。使うなら勝手に使っていいが……決して日没後に湯を沸かすな。入浴を終えたら、必ずバケツ一杯の綺麗な水を桶に残し、石の上に少量の塩を置いてこい」

ロシア北部の古い民間信仰において、バーニャは住宅の中で最も不浄で危険な場所と見なされている。

神聖なイコン(聖像)を室内に掲げることが固く禁じられており、そこには「バーニク」と呼ばれる風呂場の精霊が棲み着く。入浴の順番を誤ったり、夜遅くに湯気の中に留まったりした人間は、バーニクの怒りに触れ、熱湯を浴びせられたり、生きたまま皮膚を剥がされたりすると信じられていた。

夜の九時頃、猛吹雪の風の音の合間を縫って、外から音が聞こえてきた。

カタン……カタン……。

木製の桶が、板張りの床の上で滑るような音であった。

音は、あの施錠されているはずのバーニャの中から、風に乗って微かに届いていた。

私は机の上に置いてあった双眼鏡を手に取り、霜の付着した窓ガラスの隙間を指先で擦り、外の暗闇を覗き込んだ。

吹雪の白煙の向こう側。

真っ暗なはずのバーニャの小さな採光窓の奥が、ぼんやりと、淡い「青白い光」を帯びていた。

そして、煙突の先端から、風に千切れるようにして、白く冷たい湯気のような煙が、ゆらゆらと立ち上っていたのだ。

ブーランが、寝台の脇で立ち上がっていた。

犬の背中の毛が、針のように逆立っていた。ブーランは窓の外を見つめたまま、唇を極限まで巻き上げ、剥き出しにした白い牙の間から、地鳴りのような重い唸り声を漏らしていた。

だが、その四肢は微細に震えており、普段のように外へ飛び出そうとする気配は微塵もなかった。

犬は、恐怖していたのだ。

私は銃架からトカレフ自動小銃を降ろし、弾倉の装填を確認した。

誰かが吹雪を避けてバーニャへ侵入したのか。それとも密猟者が火を焚いているのか。

だが、あの零下三十五度の猛吹雪の中を、人間の足でここまで辿り着けるはずがなかった。

私はペチカの蓋を固く閉ざし、入口のドアの重厚な樫の木の閂(かんぬき)が下りていることを二重に確認すると、銃を抱えたまま、一睡もできずに朝を待った。

第三章 雪上の単線と、森からの呼び声

翌朝、暴風雪は嘘のように静まり返り、タイガの森には見渡す限りの白銀の世界が広がっていた。

積雪は私の腰の高さにまで達しており、木々の枝は重い雪を抱えて弓なりにしなっていた。

私は狩猟用の広いスキーを履き、銃を構えながら、用心深くバーニャの小屋へと近づいた。

バーニャの木製ドアには、昨夜私が掛けた通りの真鍮の南京錠が、凍りついたまま下りていた。

鍵を開けて中へ踏み込むと、室内には人の気配など一切なかった。

冷気で完全に凍結した水桶、冷え切ったサウナストーンの積まれた鉄の竈。煙の臭いも、温もりの残滓も存在しなかった。

ただ、中央の木製のベンチの表面——埃と霜がうっすらと降り積もった板の上に、乾いた「何か」が転がっていた。

それは、親指大の、乾燥して黒ずんだ「獣の爪の破片」であった。

熊のものではない。オオカミのものでもない。人間の指先を極端に引き伸ばし、先端を鋭利に研ぎ澄ましたような、異形の角質片。

私は背筋に走る悪寒を振り払い、その破片を雪の中に放り捨てると、急ぎバーニャの扉を閉ざして施錠した。

だが、真の戦慄は、母屋の周囲を点検した際に訪れた。

新雪で覆われた小屋の周囲。

そこに、信じがたい「痕跡」が刻まれていたのである。

動物の四足の足跡ではなかった。人間のスノーシューの跡でもない。

雪の上に刻まれていたのは、幅三十センチほどの、平らな一本の「連続した溝」であった。

まるで、巨大な蛇が腹這いになって這い回ったかのような、あるいは何かの分厚い布の塊を雪の上に引きずりながら移動したかのような、滑らかな圧雪の線。

その溝は、小屋の壁からわずか二メートルの距離を保ちながら、完全な同心円を描いて、小屋の周りを三周、巡回していた。

そして、その溝の始点と終点は——森の奥底、人間の踏み入ることのできない険しいトウヒの原生林の暗がりから伸び、そして再びその暗闇の中へと、忽然と消え去っていたのである。

その日の午後、私は無線機のスイッチを入れ、保護区本部のセルゲイへ連絡を試みた。

だが、受話器から返ってきたのは、激しいホワイトノイズと、遠くの雷鳴のような不快な電子音だけであった。猛吹雪による電離層の乱れか、あるいは中継局のアンテナが凍結したのか。通信は完全に遮断されていた。

夜が訪れた。

前夜よりもさらに気温が下がり、水銀柱は零下三十八度を示していた。

森は死んだように静まり返り、時折、樹木が内部の水分を凍結させて自爆する「凍裂」の破砕音が、ピシィッ! と銃声のように夜空に響き渡る。

午前一時を回った頃であった。

ペチカの前でうたた寝をしていた私の耳に、音が届いた。

トントン……トントン……。

静かで、遠慮がちなノックの音であった。

それは、小屋の正面の、厚さ五センチの樫の木のドアから響いていた。

私は跳ね起き、小銃の撃鉄を起こした。

ブーランが寝台の下から這い出し、全身の毛を逆立ててドアを睨み据えた。

ノックは一度止まり、そして数秒の沈黙の後、今度は木枠を指の関節で軽く叩くようなリズムで、再び繰り返された。

トントン……トントン……。

「……誰だ」

私は乾いた喉から声を絞り出した。

返答はなかった。ただ、ドアの隙間——目張りのフェルトがわずかに劣化している下部の隙間から、シュウゥ……という、極めて冷たい呼気の漏れる音が聞こえてきた。

そして、その直後であった。

ドアの向こう側の暗闇から、声が響いたのだ。

『イリューシャ……寒いよ……開けておくれよ……』

その声を聞いた瞬間、私の心臓の鼓動が停止しかけた。

ロシア語であった。私の幼名——「イリューシャ」を呼ぶ、甘く、どこか幼さを残した少女の声。

それは、今から五年前、私がまだ高校生だった頃に、サンクトペテルブルクの交差点でトラックに撥ねられて命を落とした、私の実の妹——マーシャの声そのものであった。

『イリューシャ……足が凍っちゃったの……中に入れて……ペチカにあたらせて……』

声は、泣きじゃくるように震えていた。

妹が幼い頃、冬の公園で手袋を失くして帰ってきた時の、あの耳慣れた抑揚。

私の指先が無意識のうちに、ドアの鉄の掛け金へと伸びかけた。

妹がそこにいる。雪の中で震えている。開けてやらなければ——。

ガルルルルルッッ!!

狂乱したような咆哮が、私の鼓膜を破った。

ブーランであった。老犬が私の前に立ちはだかり、私の脚を自らの太い前足で力任せに突き飛ばしたのだ。

床に倒れ込んだ私の頭上で、ブーランはドアに向かって狂ったように吠え立てた。牙を剥き出しにし、涎を撒き散らしながら、今にも扉を噛み破らんばかりの勢いで威嚇を繰り返す。

我に返った私の全身から、滝のような冷汗が噴き出した。

死んだ妹が、このウラルの果てのタイガの森にいるはずがない。

ロシア北方の古老たちが語る伝承——「ナヴィ(Navi)」。非業の死を遂げた者の声を真似て、生者の理性を奪い、自らの冷たい冥府の泥の中へと引きずり込もうとする、森の悪霊の擬態。

「失せろッ!」

私は天井に向けて叫び、小銃の銃床でドアの丸太を力任せに叩き返した。

『出て行け! お前はマーシャじゃない! 主の御名において命ずる、去れッ!!』

ドアの向こう側の声が、ピタリと止んだ。

数秒の不気味な静寂の後——。

ケタケタケタケタ……ッ!

金属のやすりを擦り合わせたような、耳を劈く甲高い嘲笑が、ドアの外から夜空へと響き渡った。

続いて、何かが屋根板の上に飛び乗ったような、ドスン! という重い衝撃音が頭上を揺るがし、やがてその気配は、森の梢を渡る風の音とともに遠ざかっていったのである。

第四章 奪われた息吹、引き裂かれた老犬

その夜が明けた後、ブーランの様子は目に見えて異常を極めていた。

普段であれば差し出す干し肉や粥を貪り食うはずの猟犬が、餌に一切口をつけず、ただ部屋の最も奥まった暗がり——ペチカと壁の間のわずかな隙間に頭を突っ込み、ガタガタと全身を痙攣させ続けていた。

私が頭を撫でようと手を伸ばすと、犬は怯えたように目を背け、喉の奥からヒィン……ヒィン……という、子犬のような悲痛な嗚咽を漏らすばかりであった。

日中の巡回は不可能であった。

窓の外は、青白い冬の陽光が降り注いでいたが、森の輪郭はどこか歪んで見え、木々の間から無数の冷たい視線が小屋へと注がれているという確信が、私の足を部屋の中に縫い止めていた。

私はペチカに絶え間なく薪を放り込み、鉄のスコップを炉の前に立てかけて、防壁を固めた。

悲劇が起きたのは、その日の夜——十一月二十日の未明のことであった。

前夜の疲労から、私は銃を膝に抱えたまま、椅子の上で深い眠りに落ちていた。

ペチカの薪が燃え尽き、室温が急激に低下した午前三時頃。

突然、凄絶な「悲鳴」によって、私は跳ね起きた。

ギャンッ!! グルルルル……ガァッ!!

ブーランの声であった。

跳ね起きた私の視界に飛び込んできたのは、信じがたい光景であった。

小屋のドアの頑丈な閂が、内側から外されていたのだ。

幅十センチの樫の横木が床に転がり、ドアが外に向かって十センチほど、不気味に半開きになっていた。

外の氷点下四十度の冷気が、濃密な白い蒸気となって室内の床を這い回っている。

「ブーランッ!」

私が叫んだ瞬間、外の暗黒の雪原から、犬の骨が砕けるような生々しい鈍い音と、喉笛を力任せに引き裂かれたような断末魔の呻きが響いた。

私は狂ったように小銃を構え、防寒靴を履く暇もなくフェルトの室内履きのまま、夜の雪原へと飛び出した。

「ブーラン! どこだ!」

懐中電灯のビームが、激しく乱反射する雪面を照らし出す。

小屋の前の新雪の上には、激しい格闘の跡が残されていた。

飛び散った鮮血が、純白の雪を黒々と染め上げ、そこから一本の「引きずられた跡」が、あのバーニャの小屋へと向かって真っ直ぐに伸びていた。

私は銃の安全装置を外し、震える指で引き金に指を掛けた。

バーニャの扉は、外の南京錠が引きちぎられ、不気味に開け放たれていた。

中から、生温かい、吐き気を催すような異臭が漂い出ていた。

それは、焼けた白樺の葉の匂いに、古い内臓の腐敗臭、そして強烈な「麝香(じゃこう)のような獣のフェロモン」が混ざり合ったものであった。

「動くな! 撃つぞッ!」

私は体当たりで扉を押し開け、懐中電灯の光を室内の蒸気棚へと照射した。

そこに、置かれていた。

サウナの最上段の棚板の上。

かつて私が腰掛けたその木板の上に、一枚の白樺の小枝(ヴェーニク)が、儀礼のように整然と敷かれていた。

そして、その葉の上に——。

ブーランの四本の脚の骨と、綺麗に剥ぎ取られたその頭部の毛皮だけが、まるで市場の精肉のように、寸分の狂いもなく几帳面に折り畳まれて、鎮座していたのである。

肉と内臓は、どこにも存在しなかった。

骨から肉を削ぎ落とした刃物の跡はない。ただ、信じがたい怪力によって、関節から一瞬にして引き抜かれ、吸い尽くされたかのような、白く乾涸らびた骨格。

そして、その頭骨の空ろな眼窩が、血の涙を滴らせながら、私の顔をじっと見つめ返していた。

「う……うわああああああっ!!」

私は絶叫し、暗闇の空間に向けて小銃を乱射した。

銃声が狭いバーニャの中で炸裂し、丸太の壁を粉々に砕く。

だが、そこには何もいなかった。

硝煙の立ち込める暗がりの中、ただ天井の梁の隙間から、ポタ……ポタ……と、冷たい黒い血の滴が、私の防寒帽の上へと落ちてくるだけであった。

第五章 ペチカの熾火と、閂の上の氷爪

私は小屋へと逃げ帰り、転がるようにしてドアを閉ざした。

床に落ちていた樫の閂を戻し、さらに部屋中の家具——重厚なオークの机、食材の木箱、鉄のペチカ用の炭入れを、狂ったようにドアの前に積み上げた。

手足の震えが止まらない。

ブーランは死んだ。あの屈強な猟犬が、音もなく解体された。

次は、私の番だ。

外気温は零下四十二度まで落ち込んでいた。

小屋の壁の隙間という隙間から、キイキイと木材が縮む悲鳴が響く。

私はペチカの中に残っていたすべての薪——乾燥した白樺の丸太だけでなく、論文の原稿、壊れた木製椅子、古い新聞紙に至るまでを炉の中に放り込み、マッチを擦った。

火が燃え盛る。

だが、その赤い炎の温もりすら、部屋の四隅から染み出してくる「死の冷気」を押し返すことはできなかった。

午前四時。夜明けまで、まだ三時間以上ある。

ギギ……ギギギ……。

屋根の上から、音が始まった。

何かが、屋根のトタン板の上を歩いていた。

その足音は、二本足ではなかった。

四つん這いになった重い肉塊が、爪を鉄板に突き立てながら、煙突の周囲をゆっくりと旋回しているのだ。

パラパラ……。

ペチカの煙突の内部から、黒い煤と乾燥した松脂の粉末が、燃え盛る火の中に落ちてきた。

煙突の風門(ダンパー)を、何者かが外側から、細い指先を差し込んでカリカリと弄んでいる金属音が響く。

煙突から入ろうとしているのだ。

だが、炉の中で激しく燃え盛る炎と上昇気流に阻まれ、侵入できずにいる。

すると、次の瞬間——。

ドォォォォンッ!!

小屋の正面ドアに、トラックが衝突したかのような凄まじい衝撃が叩きつけられた。

積み上げていた机や木箱がガタガタと跳ね上がり、丸太の壁全体がミシミシと音を立てて軋んだ。

ドアの樫の木の閂が、中央からビキビキと音を立てて白くひび割れた。

「来るな! 来るなッ!!」

私は床に膝をつき、胸元から祖母から授かった銀の正教の十字架を引き抜いて握りしめた。

同時に、右手に研ぎ澄まされた重い薪割り斧を構えた。

ロシア正教の「主の祈り(オッチャ・ナーシュ)」を狂ったように唱え、声が嗄れると、今度は幼い頃に農村の古老から教わった、炉端の魔を祓うスラヴ古来の呪言を絶叫した。

『火の神スヴァローグよ、灰の母よ、我が炉を守りたまえ!

境界を越えし不浄のものよ、土へ還れ、影へ還れッ!!』

バリバリバリッ!

ドアの隙間から、青白い「細長い指先」が侵入してきた。

それは人間の指ではなかった。

長さ二十センチを超える、節くれだった灰色の皮膚に覆われた指。

爪は漆黒の鋭利な角質と化し、木枠をバターのように削り取りながら、内側の閂を引き抜こうと蠢いていた。

指の隙間から、外の暗黒が覗いていた。

月光の下、ドアの亀裂の向こう側にあったもの——。

それは、樹齢数百年の古木のような、苔と毛皮に覆われた巨大な顔面の輪郭であった。

眼球は存在せず、頭蓋骨の窪みの奥で、二つの燐光が青白く爛々と渦を巻いていた。

怪異の裂けた口元から、氷のような白い息が、私の顔面へと直接吹き付けられた。

その冷気は、触れた瞬間に私の右耳の皮膚を凍結させ、激しい激痛を走らせた。

私は立ち上がり、叫び声を上げながら、手にした薪割り斧をその侵入してきた灰色の指先へと、渾身の力で振り下ろした。

ガツンッ!!

斧の鋼の刃が、指の骨に激突した。

金属を叩いたような衝撃が私の手首を痺れさせたが、指の肉は深く裂け、中から噴き出したのは赤い血ではなく、黒く濁った、松脂の臭気のする粘りつく体液であった。

ギィィィィィィャァァァッッ!!

森全体を揺るがすような、耳を劈く絶叫が夜空を薙ぎ払った。

指が弾かれたように外へと引っ込み、屋根の上の気配が、激しい勢いで地面へと飛び降りた。

ズザザザザッ! と雪を蹴立てて何かが森の奥へと走り去っていく音が響き——。

そして、完全な静寂が訪れた。

ペチカの薪は燃え尽き、赤い熾火だけが暗闇の中で呼吸のように明滅していた。

私は斧を握りしめたまま、ドアの前にへたり込み、二度と動くことができなくなった。

寒気が部屋を完全に支配し、私の手足の指先の感覚は、徐々に失われつつあった。

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