符は、印刷したものと手で書いたものとでは違う。そう語ったのは、蘇州で道教関係者との仲介をしていた楊という男だった。周囲は親しみを込めて彼を『楊哥』と呼んだ。
符籙の作法は宗派や土地によって異なるが、彼は、筆を執る前の斎戒から最後の押印までを一続きの仕事として重んじていた。
世間では、仏像や念珠へ功徳を願う仏教の儀礼と、道教の符籙がしばしば同じ『開光』の一語で括られる。楊哥はその混同を嫌った。彼の説明では、符には符頭、符胆、符脚があり、道士は口訣を唱え、一定の歩法を踏み、朱砂を用いて一気に書き上げる。
もっとも、これは彼が親しくした道士たちの作法であり、すべての仏教寺院や道教諸派に共通する規則ではない。
以前、私が桃木で彫った龍九子へ添える鎮宅符を求めたとき、蘇州の東岳廟や玄妙観に縁を持つ人々へ話を通してくれたのが楊哥だった。数百枚を印刷で済ませず手書きで頼みたいと言うと、彼は呆れながらも、道士が筆を執る日取りまで整えてくれた。その酒席で、なぜそこまで符を信じるのかと訊いたことが、成田の話の入口になった。
楊哥によれば、道長が一枚の符へ費やすのは筆を走らせる数十秒だけではない。数日前から酒肉を断ち、沐浴し、壇を整え、書き損じた紙も俗物のようには捨てない。数百枚を頼むということは、紙の枚数ではなく、その人の時間と息を買うことなのだ。
彼は『気を込めるという言葉を、比喩だと思わないほうがいい』と付け加えた。
楊哥は上海の裕福な家に生まれ、若いころから父の事業を手伝っていた。外灘の会員制サロンにも出入りし、商談の席では怪談など一笑に付す男に見えた。その彼が酒席の終わりに、『三十三歳の冬だけは説明がつかない』と話し始めた。
父は若いころ福建の山中で一人の道士に会い、東南へ行き、水に関わる仕事をせよと勧められたという。その後、杭州で水運に関係する商いを始め、財を成した。成功した後年ほど、父はこの出会いを天命として語った。
どこまでが記憶で、どこからが家の神話なのか、楊哥自身にも分からなかった。
若い父は裸一貫で各地を渡り歩き、霧の深い山中で雨を避けた小さな道観に一晩泊められた。その老道士から『東南へ向かえ。水を運び、水を売る仕事がお前を養う』と告げられたのだという。
父は浙江へ移り、船運から飲料へと事業を広げた。のちに巨大な企業を率いるようになっても、書斎にはその道観でもらったという煤けた木札を置いていた。
夫妻には長く子がなく、母と祖母は各地の観音堂を巡った。ようやく生まれた楊哥は幼少期に重い病気をし、家族は再び寺へ願をかけた。そのとき老人から、『この子には三、十三、二十三、三十三の四つの関がある』と告げられた――家ではそう伝えられていた。
三歳の病は回復した。十三歳の年には高所から落ちて大怪我をしたが助かった。二十三歳には海外旅行中の事故に巻き込まれた。出来事だけを並べれば偶然である。だが家族はそのたびに、また一つ関門を越えたと数えた。
十三歳の夏、楊哥は自宅の高層階のベランダから転落した。本人は直前に眩暈がし、背後で名を呼ばれたとしか覚えていない。駐輪場の屋根が衝撃を受け止め、長い入院の末に助かった。
親族は観音の古札のおかげだと言い、医師は落下地点と屋根の構造が幸運だったのだと説明した。
二十三歳の関はタイへの旅行中に訪れた。辺境の町で同行者が現地の呪術に取り憑かれたと騒ぎ、夜通し誰もいない部屋へ話しかけた末に命を落としたという。詳細は別の長い話になるとして楊哥は語らなかった。
ただ帰国後、彼の荷物から、入れた覚えのない黒い糸で縛られた人形が出てきた。
祖母は三度の生還のたび、寺へ同じ数だけ灯明を納めた。次は三十三だと家族が口にするので、楊哥はその年齢を迎える前から苛立っていた。会社では新事業を任され、結婚話も進んでいた。
人生がようやく自分の意思で動き始めた時期に、幼いころの予言が再び時計の針のように近づいてきたのである。
そして三十三歳。楊哥は日本企業との仕事で上海と東京を頻繁に往復していた。国際線の機内で知り合った中国人客室乗務員と、東京で会うようになったのもそのころである。
本稿では、その女性を沈と呼ぶ。所属会社や本名は明らかにしない。
沈は夏にはよく笑い、夜通し歩いても疲れなかった。ところが気温が下がると、急に眠気と寒気に襲われた。暖房の効いた店でも指先は冷たく、食事の途中で目を開けていられなくなる。
医療機関では異常を指摘されなかったと本人は話したが、診療内容は確認できていない。
発作が来ると、沈は人の多い場所へ行きたがった。銀座の交差点、新宿の百貨店、夕方の駅前広場。ベンチで三十分ほど目を閉じていると、頬に色が戻った。楊哥は、孤独を紛らわせたいのだろうと思っていた。
冬のある晩、高級料理店で沈は箸を持ったまま眠り込んだ。手から落ちた箸が皿を打っても目を覚まさない。楊哥が肩へ触れると、薄い制服の下の身体は屋外に放置された金属のように冷えていた。
十分ほどして目を開けた彼女は、まず周囲の客を数え、それから『ここは人が少なすぎる』と呟いた。
人混みのベンチで休む沈を観察すると、通行人が彼女の前を横切るたび、閉じた瞼がかすかに動いた。深く息を吸うのではない。ただ、駅全体の熱を皮膚から受け取っているようだった。
三十分後には指先が温まり、声にも張りが戻る。楊哥は奇妙に思いながらも、彼女に救われた顔をされると追及できなかった。
交際は一年近く続いた。沈は華やかな店より、終電前の駅や閉店間際の百貨店を好んだ。二人でいるのに、彼女の視線はいつも楊哥の肩越しに群衆を追っていた。
それでも店を出るころには機嫌がよくなり、冷たい指を彼の腕へ絡めた。楊哥は、自分ではない何かによって元気になる女へ、嫉妬に似た感情さえ抱いたという。
彼女が一つだけ繰り返したのは、成田で夜の人気のない場所へ入るな、という警告だった。非常階段、閉鎖中の連絡通路、地下へ降りる扉。理由を訊くと、『空港は、来る人より帰れない人を覚えている』と答えた。
晩秋のある日、沈の便が大幅に遅れた。楊哥は到着ロビーで数時間を過ごし、煙草を吸う場所を探して人影の少ない通路へ入った。エスカレーターは点検中で、脇の防火扉がわずかに開いていた。彼はその隙間から非常階段へ入った。
踊り場には、空港の作業着に似た服を着た小柄な老人がいた。昇りも降りもせず、壁と手すりの間を小さく回り続けていた。楊哥が中国語で声をかけると、老人は顔を上げずに言った。『落とし物ではない。道が見つからないんだ』。
楊哥は老人の横を通り、上へ向かった。三階から一つ上の階へ出るだけのはずが、踊り場は幾つ越えても終わらなかった。疲れて立ち止まり、階数表示を探したが、壁には数字を剥がした四角い跡しかない。
ようやく現れた扉を押すと、見慣れた空港の商業フロアへ出た。店の配置も案内板も現実と同じだった。ただ、人が一人もいない。館内放送も空調も飛行機の音もなく、自分の靴音さえ床へ吸われた。
免税店のショーケースには商品が整然と並び、青白い搭乗案内にも便名が表示されていた。しかし出発時刻の欄はすべて二〇時三十九分で揃っていた。無人のカフェには湯気の立つ紙コップが一つあり、近づくと、中身の表面に先ほどの老人の顔が逆さに映った。
楊哥は振り返らず、扉へ走った。
携帯電話は圏外だった。画面には二〇時三十九分と表示されていた。気味が悪くなり、楊哥は元の階段へ戻った。今度は下へ走った。しかし降りても降りても同じ踊り場が続き、蛍光灯の色だけが少しずつ黄色く濁った。
息を切らして時計を見ると、二〇時三十九分だった。心臓を百回数えてから見直しても、数字は変わらない。自分の脈だけが動き、空港の時間は止まっていた。下の暗がりからは、あの老人の乾いた靴音が近づいてきた。
かつて道士から、道を失ったときには紙か布を燃やし、煙で陰の帳を破るという話を聞いたことがあった。だが手元に火はない。空港の保安検査を通ったあとで、ライターもマッチも持っていなかった。
楊哥は上着の裏地を破り、手すりへ擦りつけた。布は温かくなるだけで、闇の側から聞こえる足音ばかりが増えた。
老人のものだけではなかった。硬い革靴、子どものサンダル、裸足の湿った足音。それらが上下の踊り場から同時に近づき、見えない場所で一斉に止まった。
手すりの隙間から下を見ると、暗闇の底に幾つもの頭頂部が輪を作り、同じ方向へ回っていた。
楊哥が上へ逃げれば、頭頂部の輪も上の階へ現れた。下へ向かえば、今度は下で待っている。踊り場の番号板は剥がされているのに、壁の染みだけが毎回同じ人の横顔を作っていた。
何周目かに、その染みの口が開き、『三十三』と確かに言った。家族の予言を知らないはずの場所で聞いた数字だった。
圏外の携帯が突然鳴った。表示されたのは沈の名だった。通話ボタンを押すと、挨拶もなく『どこから入ったの』と訊かれた。非常階段と老人のことを伝えると、電話は切れた。直後、階下から彼女の声で『早く降りて』と呼ぶ声がした。
楊哥は手すりをつかみながら降りた。下の踊り場に沈が立ち、右手を伸ばしていた。顔は暗く輪郭も曖昧だったが、その手首の細い銀の傷だけは見覚えがあった。触れた瞬間、冷水から引き上げられるような衝撃が全身を通った。
次の瞬間、館内放送と話し声が一度に戻った。楊哥は到着ロビー近くの通路に立っていた。時計は二〇時四十分へ変わっていた。そばにいた沈は唇へ指を当て、何も訊くなというように彼の腕を引いた。
現実へ戻ったときの音は、救いというより暴力だった。アナウンス、キャリーケースの車輪、遠いジェットエンジンが一度に鼓膜へ流れ込み、楊哥は床へ膝をついた。沈は彼を立たせ、周囲を何度も確かめた。
彼女の輪郭は蛍光灯の下でも水に滲む墨のように揺れ、握られた指には体温がなかった。
二人は空港を出た。沈が向かったのはホテルではなく、空港外周から少し離れた古い農家だった。周辺には空港建設をめぐる長い歴史が刻まれているが、この家の来歴と所有関係は確認できない。
少なくとも、滑走路内の立入制限区域にあったという話ではない。
楊哥の最初の語りでは、その家は有刺鉄線と監視設備の向こう、空港敷地に取り残された『団結小屋』か『敷地内農家』のような場所だった。実際の成田周辺には空港建設へ反対した人々の土地と施設をめぐる複雑な歴史がある。ただし、彼が語る経路や家屋を公開資料と一致させることはできず、ここでは『空港外周の孤舎』として記す。
家には電気が通っていたが、冷蔵庫もテレビもなかった。土間には古い長靴が二足あり、柱には昭和期の暦が掛けられたままだった。沈は迷わず奥の鍵を開けた。
初めて入った家の動きではない。楊哥が誰の家なのか訊いても、彼女は『今夜だけ、誰も戻らない』と答えた。
窓の外を航空灯が横切るたび、障子には巨大な機影が滑った。ところが轟音は数秒遅れて届き、そのたび家全体が低く軋んだ。土間の隅には、誰かが最近まで火を使った跡と、中国式の紙銭を燃やしたような灰が残っていた。
沈は灰を靴先で崩し、『ここは昔から、空港より静かなものが出入りする』と言った。
戸を閉めると、沈は土間脇の寝台へ倒れ込んだ。『眠れば戻る。揺すらないで』と言い、目を閉じた。呼吸は浅く、手はひどく冷たかった。楊哥が救急車を呼ぼうとすると、彼女は目を開け、病院では治らないと止めた。
『私は冬を越す力が足りないの』。沈はそこで初めて、自分の体質を説明した。人の頭上には、温かな気配が火のように見える。
人混みで目を閉じていたのは、その火の粉を少しずつ受け取るためだったという。百人からごく僅かずつなら、誰も気づかず、誰も倒れない。
彼女には、人の頭上に揺れる『人氣』が見えるのだという。幼い子どもの気は白く、働き盛りの者は橙色に燃え、重病人のものは青く細い。冬になると沈自身の火はほとんど消え、他人の熱がなければ長い眠りへ落ちる。
祖母はそれを冬眠と呼び、母は飢えと呼んだ。
雲南の山地に住む母方の女たちから教わった、と彼女は話した。しかし具体的な民族名や術の名は口にしなかった。雲南の多様な信仰を一括して『吸気の巫術』とみなす根拠もない。この説明は、あくまで沈という一人の人物の語りである。
一族の女たちは、息の仕方と視線の置き方を代々教えたという。群衆から一筋ずつ、風に混じった火の粉だけを受け取る。特定の一人を見つめてはならず、名前を知ってはならず、肌へ触れてはならない。
それらは相手を傷つけないための禁忌であると同時に、吸う側が人間の暮らしへ戻れなくなるのを防ぐ決まりでもあった。
沈が客室乗務員を選んだ理由も、空を飛ぶことへの憧れだけではなかった。空港には出発する者、帰国した者、再会を待つ者の感情が渦を巻く。生命の熱がもっとも濃く交差する場所だという。
だが同時に、予定された便へ乗れなかった者、故郷へ帰れなかった者の冷気も溜まる。彼女は人混みから糧を得ながら、その裏側のものを避けて働いていた。
あの階段から楊哥を引き出すため、沈は蓄えていたものを使い切った。いま都心の人混みまで移動する力は残っていない。そう言って、彼女は再び眠ろうとした。楊哥は、自分の気を使えばよいと提案した。
沈は激しく拒んだ。一人から直接受け取れば、その人を傷つける。群衆から集めるのとは違う。楊哥は、それでも自分は四つ目の関を越えるためここへ来たのだと言い張った。家族が長年繰り返した予言が、このときだけは彼の勇気になった。
長い沈黙のあと、沈は寝台から起きた。冷たい両手で楊哥の頬を包み、『一口だけ』と言った。彼女の瞳には飢えよりも恐怖があった。自分が何をしてしまうかを、彼女自身がいちばんよく知っていた。
楊哥は、自分は観音の願によって天から奪い返された命だから簡単には尽きない、と笑った。理屈ではなかった。三十三年のあいだ家族から聞かされた物語を、いま目の前の女を救うために使おうとしたのである。
沈は『その考え方が、あなたを四度も死の近くへ連れてきた』と答えた。
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