序章 五大湖の袋小路
カナダ・オンタリオ州の最南端、エリー湖とセントクレア湖に挟まれたエセックス郡の平原は、冬が近づくと、世界そのものが色を失ったかのような荒涼とした表情を見せる。デトロイト川を隔ててアメリカ合衆国の工業都市デトロイトと向き合うこの土地は、肥沃な粘土質の土壌が果てしなく広がり、夏にはトウモロコシや大豆の緑が地平線を埋め尽くすが、十一月も半ばを過ぎると、収穫を終えた黒褐色の畑と、風除けのために等間隔で植えられたカエデやナラの裸木ばかりが寒風に晒される。
その郡の南西部に位置するアマーストバーグは、一八一二年の米英戦争の激戦地となったモールデン砦を抱える古い歴史の町である。川沿いには十八世紀末の英国植民地時代を思わせる石造りや木造の瀟洒な街並みが残されているが、町の中心部からわずか数キロ内陸へ入れば、街灯の一つもない格子状の農道がどこまでも続く、深い静寂に閉ざされた農村地帯へと突き当たる。
その無数に伸びる地方道の中に、地元住民から「テキサス・ロード(Texas Road)」と呼ばれる道がある。
西は川沿いの幹線道路から始まり、東の集落へとまっすぐに伸びるはずだったその一本道は、現在、地図の上で奇妙な分断を見せている。道路の途中に巨大なコンクリート製の防護フェンスが打ち込まれ、車両の通行が物理的に遮断されているのだ。遮断された先には、放棄されて久しい旧道、涸れ谷を渡る老朽化したコンクリートの小橋、鬱蒼とした雑木林、そして十九世紀末に開かれたローマ・カトリックの聖クレメント墓地が、まるで時間の吹き溜まりのように取り残されている。
北米の心霊体験談を集約する老舗の投稿サイトには、このテキサス・ロードを巡る証言が何十件にもわたって記録されている。
深夜に立ち往生した車の窓を何者かが叩く音。
谷の奥の雑木林を音もなく疾走する蹄のない白い馬。
初雪を踏んで墓地を歩く若者たちの足跡の横に、いつの間にか並んで刻まれる「五人目の足跡」。
誰もいないはずの橋の袂に立つ影。
それらは、単なる若者たちの度胸試しの噂話として片付けるには、あまりにも細部の地理的特徴が一致しており、投稿者たちの筆致には、冗談を拒絶するような乾いた恐怖が張り付いていた。
第一章 サットン・クリークの黄昏
コリン・ミラーが郡の公用ピックアップトラックのエンジンを止めた時、西の空を覆っていた鉛色の雲の端が、薄く血のにじんだような朱色に染まり始めていた。
二十八歳になるコリンは、ウィンザーに本社を置く測量・環境土木コンサルタント会社で、GIS(地理情報システム)技術者兼現場調査員として働いていた。その年の晩秋、エセックス郡当局は翌年度に予定されているサットン・クリーク流域の治水・排水路再整備計画に先立ち、長年放置されてきた遊水地周辺の境界標および暗渠の現況調査を民間へ委託した。その担当者として白羽の矢が立ったのが、入社四年目のコリンだった。
「テキサス・ロードの封鎖区間か」
事務所で案件の資料を受け取った際、先輩のベテラン技術者が眉をひそめながら漏らした言葉を、コリンはトラックの運転席で思い出していた。
「あそこは昔から厄介な場所だ。七十年代の終わりだったか、若者連中が夜な夜な車を乗り入れて騒ぎを起こすってんで、両側からコンクリートブロックを突っ込んで塞いだんだが、理由はそれだけじゃない。あの橋の周りでは、車が急にエンストしたり、谷底へ突っ込んだりする事故がやたらと多かった。
地元のアマーストバーグの連中に言わせりゃ、あそこは『通しちゃいけない道』だったんだよ」
コリン自身、高校時代を隣町のウィンザーで過ごしたため、テキサス・ロードの悪名を知らないわけではなかった。十代の血気盛んな若者たちが、満月の夜やハロウィンの深夜に車を走らせ、封鎖線の手前に車を停めて墓地まで歩くという肝試しは、地域の定番の度胸試しだった。だが、大人になり、日々の仕事に追われる中で、そうした話は安っぽい都市伝説として記憶の片隅に追いやられていた。
トラックのドアを開けると、エリー湖の方向から吹き付ける冷酷な北西風が、容赦なくコリンの頬を叩いた。気温はすでに氷点下に近づいており、吸い込んだ空気が鼻腔の奥をツンと刺激する。
コリンは荷台から黄色い蛍光ベストを取り出して厚手のダウンジャケットの上から羽織り、革の作業用手袋を嵌めた。首からは高精度のハンディGPS端末とデジタル一眼レフカメラを下げ、腰のホルダーに長距離レーザー測距計と強力なLEDマグライトを差し込む。足元は底の厚い防水の安全靴だった。
道路の端には、高さ一メートルほどの黄色く塗られたコンクリート製のジャージー・バリアが三列に並び、行く手を完全に塞いでいた。表面には風雨で色褪せた落書きの跡と、「通行止め・立ち入り禁止」の古い金属看板が錆びついて斜めにぶら下がっている。
コリンは障壁の隙間をすり抜け、かつてテキサス・ロードと呼ばれていた空間へと足を踏み入れた。
障壁を越えた瞬間、足元の感触が変わった。アスファルトは幾筋もの深い亀裂に引き裂かれ、その割れ目から伸びた枯れたアザミや雑草が、まるで針金のように硬く凍りついていた。両脇には放棄された休耕地が広がり、風に擦れ合う枯れトウモロコシの茎が、サワサワ、カサカサと、まるで無数の乾いた骨がぶつかり合うような音を立てていた。
道は緩やかな下り坂となり、サットン・クリークの浅い谷へと向かって落ち込んでいた。前方百メートルほどの場所に、木々の梢に埋もれるようにして、コンクリート造りの小さな橋の欄干が見えていた。
第二章 死者の森と乾いた鉄橋
その橋は、一九五〇年代に建造されたと思われる無骨な単径間の道路橋だった。欄干の鉄骨は茶褐色に腐食し、コンクリートの角は剥落して中の鉄筋が赤黒く錆びて露出していた。
コリンは橋の手前で立ち止まり、GPS端末の画面を確認した。端末の液晶に表示された測位精度を示すインジケーターが、奇妙な挙動を見せていた。通常であれば上空が開けた農村地帯では数センチの精度で衛星信号を捕捉できるはずが、数値が急激に跳ね上がり、十数メートルの誤差を示す赤色の警告アイコンが点滅し始めた。
「衛星の配置が悪いのか?」
コリンは呟き、端末を空へ掲げてみた。頭上には冬の重い雲が低く垂れ込めているだけで、電波を遮るような高層建築や切り立った崖があるわけではない。しかし、衛星の捕捉数は八基から四基、二基へと理由もなく減少していった。
苛立ちを覚えながら端末を腰のホルダーに戻し、コリンは橋の側面の法面を滑り降りて、サットン・クリークの谷底へと降り立った。
谷底は、道路の上とはまったく異なる世界だった。風の音がピタリと止んでいた。堤防と鬱蒼としたナラやトネリコの樹冠が風を遮っているためだったが、その静寂はあまりにも深く、足元で凍った落ち葉がパキリと割れる音だけが、耳をつんざくような鋭さで響いた。
小川の水はほとんど干上がっていた。かつては豊かな水流があったのだろうが、農地改良による排水路の変更によって本流から切り離され、川床には黒ずんだ泥と、腐敗した落葉の分厚い堆積層が露出している。水たまりの表面には薄い氷が張り、その下で灰色の気泡が閉じ込められていた。
コリンはレーザー測距計を取り出し、橋台のコンクリート壁に照射した。赤い測距光の点が、苔むした壁面を捉える。橋の下は、大人が屈んで通り抜けられるほどの空間が開いていた。
四角いコンクリートの基礎には、かつてここに忍び込んだ若者たちが残したスプレーの跡が残っていた。五芒星のマーク、歪なアルファベット、そして何かを祈るような十字架の線。
ふと、コリンの視線が、橋の下をくぐり抜けた先の窪地に留まった。
そこには、巨大なカボチャほどの大きさの丸い石灰岩の塊が、不自然な半円を描くようにして泥の中に並べられていた。その中央、土手に半分埋もれるようにして、畳一枚分ほどの平たい板状の巨石が横たわっている。
「……あれか」
コリンは息を呑んだ。高校時代、フォーラムの書き込みで読んだ記憶が蘇った。テキサス・ロードの谷底には、かつて先住民の儀礼の場、あるいは後に入植者たちの間で密かに行われていた儀式の跡とされる「祭壇石」が存在するという噂。
それは単なる浸食で崩れ落ちた自然石だと一笑に付されていたはずだった。
だが、間近で見ると、その平らな岩肌には、風化しながらも確かに人間の手で刻まれた幾何学的な溝が残されていた。泥を払うと、円の中に刻まれた逆十字と、判読できない古い刻印の輪郭が指先に触れた。
冷たかった。冬の石が冷たいのは当たり前だったが、その平石から伝わってくる冷気は、まるでドライアイスに直接触れたかのように、手袋の革を通して指先の感覚を一瞬で奪い去った。
コリンは手を引っ込め、背筋に走る悪寒を払うように立ち上がった。仕事だ。自分はここに肝試しに来たのではない。インフラの現状を写真に収め、図面と照合するために来たのだ。
彼はカメラを構え、橋台のクラックと石の配列を数枚撮影した。ストロボの鋭い閃光が、薄暗い谷底の陰影を一瞬だけ白日の下に晒した。
その時だった。
カサ、と頭上で音がした。
小石がパラパラと橋の上から落ちてきて、コリンのヘルメットの縁を掠め、足元の泥に落ちた。誰かが橋の上にいるのか。
コリンは息を潜め、法面を見上げた。誰もいなかった。剥き出しの鉄骨の欄干が、夕暮れの空に黒く切り取られているだけだ。
しかし、その静寂を破って、遠くから別の音が響いてきた。
第三章 落葉を踏まぬ蹄音
それは、重く、リズミカルな振動だった。
ドドッ、ドドッ、ドドッ。
馬が大地を駆ける音に似ていた。だが、その音には決定的な何かが欠落していた。蹄鉄が石を叩く硬い音も、乾いた落ち葉を踏み砕くサクサクとした破裂音も混ざっていない。
ただ、大気の底が周期的に押し潰されるような、重く鈍い圧力の波だけが、谷の奥から伝わってきていた。
音は、雑木林の向こう側、かつて牧場があったという北側の斜面から近づいていた。
コリンは警戒しながら、泥の斜面を這い上がり、道路の高さまで戻った。橋の真ん中に立ち、音が近づいてくる方向を見据える。
葉を落とした冬枯れの木々の間は、視界が開けていた。灰色の幹が無数に林立する向こう側に、トウモロコシ畑の枯れ草が広がっているのが見える。
そこに、いた。
木立の隙間を、何かが疾走していた。
純白の大型の馬だった。農耕馬のように太く逞しい脚と、豊かな尾を持った堂々たる体躯。それが、障害物など存在しないかのように、密生した樹木の幹の間を縫って、猛烈な速度で駆け抜けていく。
コリンは目を見張った。近隣の牧場から逃げ出した馬だろうか。だが、次の瞬間、彼の思考は完全に凍結した。
その馬の足元には、跳ね上がる土くれも、巻き上がる落ち葉も一切なかった。馬が全速力で駆け抜けているにもかかわらず、その蹄が触れているはずの地表の草木は、一本たりとも揺れていなかった。まるで、立体的な映像だけが、空間の上に重ね合わされて滑走しているかのようだった。
さらに、その馬の首から上だった。
頭部が、異様なほど不自然に垂れ下がっていた。手綱も鞍もつけていないその馬は、顎を喉元に強く引き絞り、まるで激しい苦痛に耐えているかのように、口から泡のような白煙を噴き出していた。しかし、その煙も大気に溶けることなく、馬の輪郭とともにそのまま後ろへと流れて消えていく。
音がない。これほど間近を巨大な獣が走り抜けているというのに、聞こえるのはただ、コリン自身の荒い呼吸の音と、風が電線を震わせるヒューヒューという鳴り声だけだった。
馬は谷の縁まで達すると、減速することなく、空中に躍り出るようにして視界の端へと消えた。木々の隙間から夕闇が急速に濃さを増し、白馬が消え去った場所には、ただ冷たい夜の気配だけが残されていた。
(何を見たんだ……?)
コリンの膝がガクガクと震え始めた。錯覚や光の悪戯などではない。あれは紛れもなく、かつてこの土地の怪談として書き込まれていた「サットン・クリークの白馬」そのものだった。
早く戻らなければならない。完全な夜が訪れる前に、あのコンクリートの障壁を越えて、トラックへ戻るのだ。
コリンは踵を返し、来た道を早足で歩き始めた。橋を渡り、緩やかな登り坂を登っていく。右手の林の奥に、鉄柵で囲まれた聖クレメント墓地の苔むした十字架たちが、夕暮れの残光の中に黒い歯並びのように並んでいるのが見えた。
その時、周囲の気温が、目に見えて急降下した。
第四章 霜柱の上の五人目
吐き出す息が、先ほどとは比べ物にならないほど真っ白な塊となって目の前に広がった。手袋越しにも指先の感覚が麻痺し始め、顔面の皮膚が針で刺されたように痛む。
足元の地面から、ピキピキという微小な音が湧き上がっていた。湿り気を含んだ黒土が、急激な冷気によって急速に凍結し、地表一面に針のように鋭い霜柱が林立し始めていたのだ。
ザクッ、ザクッ。
コリンの安全靴が、凍りついた土と霜を踏み砕く。規則正しい自分の足音。その音のリズムに、違和感が生じた。
ザクッ、ザクッ、……ザクッ。
遅れて、もう一つの足音が聞こえた。
コリンは歩みを止めた。背後の音も、ピタリと止まった。
風の音が途切れ、周囲は完全な無音に包まれていた。コリンは首筋に冷や汗が流れるのを感じながら、ゆっくりと背後を振り返った。
誰もいない。薄暗い道路が、一本の灰色の帯となって雑木林の中へと伸びているだけだ。
気のせいだ、と自分に言い聞かせた。足音が周囲の木々に反響しただけだ。コリンは再び歩き出した。今度は意識して歩調を速めた。
ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ。ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ……ザザッ。
明らかに、背後の足音は反響ではなかった。それはコリンの真後ろ、わずか数歩離れた位置を、まったく同じ速度で追尾していた。しかも、それは靴底の硬い音ではなかった。
まるで、柔らかい布や革の底で、地面の霜柱を擦るように踏みしめる、湿り気を帯びた足音だった。
コリンは立ち止まらず、腰のマグライトを引き抜いて、歩きながら後ろへ向けて照射した。強烈なLEDの光が、凍結した路面を白く切り拓いた。
そこには、恐るべき光景が広がっていた。
コリンが歩いてきた跡には、安全靴の深い溝が刻まれた二列の足跡が真っ直ぐに残っていた。そして、その右側。コリンの右足の足跡から三十センチほど離れた位置に、もう一列の足跡が、今まさに新しく生まれつつあった。
目に見える人間の姿はない。しかし、懐中電灯の光の中で、地面の霜柱が、何者かの足の重みによってプチプチと音を立てて押し潰され、扁平な、爪先のない足の輪郭が、土の上に次々と刻み込まれていくのだ。
ザクッ。コリンの目の前、わずか二メートル手前の霜が沈み込んだ。
「ひっ……!」
喉の奥から乾いた悲鳴が漏れた。コリンは脱兎のごとく走り出した。
機材の重みも、足元の悪さも忘れて、ただ前方の封鎖線を目指して脚を動かした。背後から、追ってくる足音が明確な疾走のリズムへと変わった。ザクザクザクザクッ!
それはもはや一人分の足音ではなかった。二重、三重に重なり合う、無数の足が凍土を踏み荒らす音。
そして、冷気が背中を直撃した。まるで、冷凍庫の扉を全開にして背中に押し当てられたかのような、暴力的な冷気の塊。首筋の産毛が凍りつき、ジャケットの繊維を通して寒さが心臓の裏側まで染み通ってくる。
「頼む、頼む、頼む!」
コリンは叫びながら、前方に立ちはだかる黄色いジャージー・バリアへと飛び込んだ。コンクリートの角に腰を強打しながらも、隙間をすり抜け、道路の反対側へと転がり出た。
そこには、彼が乗ってきた白いフォードのピックアップトラックが、静かに佇んでいた。
コリンはキーレスエントリーのボタンを狂ったように連打した。ピピッ、とアンバー色のハザードランプが一瞬だけ点滅し、ドアロックが解除される音がした。
彼は運転席のドアを掴み、車内へ倒れ込むように滑り込んだ。ドアを力任せに引き寄せ、激しい衝突音とともに閉める。センターコンソールの集中ロックスイッチを肘で押し込み、すべてのドアを施錠した。
荒い息を吐きながら、コリンはフロントガラスに額を押し当てた。心臓が肋骨を内側から叩き割らんばかりに脈打っていた。手袋を脱ぎ捨てると、指先は真っ白に変色し、激しく痙攣していた。
助かった。鉄とガラスで密閉されたこの空間にいれば、外の何者も入ってはこれないはずだった。コリンは震える手でイグニッションキーを差し込み、右へ回した。
キュルルル……キュルルル……。
セルモーターが空しく回る音だけが、車内に響いた。エンジンがかからない。
「おい、冗談だろ……」
コリンはアクセルペダルを踏み込みながら、もう一度キーを捻った。キュルルル……カチッ。インパネの照明が一瞬で落ち、ヘッドライトの光が消えた。バッテリーが完全に干上がったかのように、車内の電装系が沈黙した。
完全な暗黒が、車内を包み込んだ。
コリンは息を止め、バックミラーを見上げた。
車の後方、封鎖用のコンクリート障壁の上。残されたわずかな残光を背にして、何かが立っていた。
それは、一人ではなかった。
三つの人影が、コンクリートブロックの上に、そしてその左右の路肩に、寄り添うようにして立っていた。
彼らの姿には、立体感が欠落していた。まるで、黒い画用紙を人間の形に切り抜いて闇の中に貼り付けたような、平面的で濃密な影の塊。しかし、その顔の部分だけが、まるで燐光を放つ腐木のように、ぼんやりと青白く発光していた。
目鼻の凹凸は判然としない。だが、その顔の真ん中に穿たれた二つの暗い穴が、まっすぐにフロントガラス越しにコリンを見据えていることだけは、疑いようもなく理解できた。
彼らは、地面を歩いて近づいてきたのではなかった。瞬きをするたびに、その距離が詰まっていた。
最初は三十メートル先。次の瞬間には、二十メートル手前の泥濘の上。そして、三度目の瞬きをした時、彼らのうちの一人が、すでにピックアップトラックの荷台のすぐ後ろに立っていた。
ゴツン。
荷台の鋼板を、重い何かが叩く音がした。車体全体がミシリと軋み、サスペンションがわずかに沈み込んだ。
コリンの喉から、声にならない空気が漏れ出した。彼は身体をシートの奥深くに押し付け、両手で頭を抱え込んだ。
車内の温度が、尋常ではない速度で低下し始めていた。ダッシュボードの表面に、白い霜の結晶が、まるで生き物のように網目状に広がっていくのが見えた。フロントガラスの内側が、コリンの吐息ではなく、車内の冷気そのものによって急速に凍結し、外の景色を白い曇り硝子の向こう側へと追いやっていく。
ト、ト、ト。
乾いた音が、すぐ真横から響いた。
運転席のサイドガラスだった。コリンの右耳から、わずか二十センチも離れていない場所。
氷結したガラスの向こう側に、青白いものが押し当てられていた。人間の手のひらだった。しかし、その指は異常に細長く、関節が幾重にも波打ち、爪の生え際が黒く変色していた。
その指先が、ガラスの表面を規則正しく、小鳥が木を突くような速度でコツコツと叩き続けていた。
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