序章 胡同の茶殻と、三十元の相法
世の中の景気が傾き、街から浮薄な熱気が引いていくと、人間の欲望と不安はより陰湿で、密やかな場所へと吹き溜まるようになる。
かつてなら派手なネオンのクラブや高級料亭でシャンパンの泡に溺れていた連中が、近頃ではめっきり人目を避け、場末の古びた茶館に集まっては、出涸らしの茶を啜りながらひそひそと世間話に興じている。動画配信で一山当てようとする若者の噂、一夜にして破産した不動産王の末路、失脚した官僚の愛人スキャンダル、果ては名刹の高僧が生ませた隠し子の養育費の額に至るまで——飛び交うのは、下世話の極みのような話ばかりだ。
先日、知人の家に生まれた子が無事に満月(生後一か月)を迎え、その祝いの帰り、私は筆休めの取材と称して、そうした奇妙な茶館の一つに足を運んだ。
北京の古い胡同(路地裏)の奥深くに潜むその店は、看板すら掲げておらず、常連の紹介がなければ鉄の閂(かんぬき)を開けてもらうことすらできない。
その茶館の主(あるじ)こそが、今回語るべき風水師、「季(ジー)師父」であった。
季師父の佇まいは、およそ世間が抱く「世外の高道」「神秘の相法家」といった仙風道骨のイメージとは程遠かった。
丸顔に薄い眉、小太りの体躯に綿の擦り切れた日常着を羽織り、いつも顔中に人の良さそうな笑みを浮かべている。茶器を載せた盆を抱え、肩に雑巾を引っ掛けて小走りに客の間を縫う姿は、どう見ても場末の食堂のしがない給仕そのものであった。
この茶館の掟は至極単純だ。最も安価な三十元のジャスミン茶を頼めば、魔法瓶の湯を何杯でも無料で注ぎ足してくれ、男四人が半日管を巻くことができる。だが、ひとたび八十元の最高級龍井(ロンジン)を奮発して注文すると、店主自らが満面の笑みで卓に歩み寄り、「無料の手相鑑定」という風変わりな特典を振る舞ってくれるのだ。
「いやあ、お客さん! 今朝起きたら軒先でカササギが鳴いておりましてね、これは大金持ちが飛び込んでくる兆しだと思っていましたよ! 今日は手相だけでなく、ついでにお客さんの死後の『陰宅(墓所)』まで無料で鑑定して差し上げましょう!
」
「縁起でもない冗談はよしなさい。墓の心配なら、まず自分の分から手当てしたらどうです」
軽口を叩き合いながら掌を差し出すと、季師父の柔らかい指先が私の手相の筋をなぞった。その瞬間、彼の細い眼の奥に、茶筅を振るう給仕のそれとは全く異質な、底知れぬ観察者の光が一閃したのを私は見逃さなかった。
彼の手相見は驚くほど鋭く、かつて某有名ロック歌手が看板女優を伴って来店し「運命の愛を見つけた」と豪語した際、季師父がその掌を一瞥して「お二人は道半ばで破綻する仮初めの縁ですな」と告げて急須を叩き割られたという逸話すらあるほどだった。
「季師父、失礼ながら、あなたのその腕前はどこで仕込まれたものなんです? 終南山での苦行ですか、それとも白山黒水の出馬仙(東北の動物憑き)の類ですか?」
私の問いに、季師父は照れくさそうに頭を掻き、急須に湯を注ぎながら言った。
「とんでもない。私には道教の師もいなければ、寺院の免状もありませんよ。……強いて言うならね、私に風水と大地の理を教えてくれたのは、屠殺場へ引かれていく牛や豚、名もなき獣たちだったんです」
第一章 牛眠の地——放逐された孤児と老黄牛
季師父の生国は、黄河の中流に位置する陝西省北部——いわゆる陝北(せんほく)の黄土高原であった。
冬になれば見渡す限りの黄土が凍てつき、吹き荒れる朔風が人間の皮膚を容赦なく切り裂く不毛の荒野である。季師父は幼くして両親を相次いで亡くし、残されたのは数畝の痩せた段々畑と、土壁の崩れかけた平屋、そして一頭の老いた黄牛(アカウシ)だけであった。
兄が近隣の村から嫁を迎えたことが、彼の運命を暗転させた。
強欲な義姉にとって、働き口のない義弟はただの飯食い虫に過ぎなかった。義姉は夫を焚きつけ、強引な「分家」を迫った。家屋と肥沃な畑はすべて兄夫婦の懐に入り、季師父に投げ与えられたのは、骨と皮ばかりに痩せ衰えた一頭の老黄牛と、家を追い出される着の身着のままの身の上だけであった。
行くあてを失った少年は、村はずれの吹きさらしの丘の斜面に、粗末な木の枝と泥を塗り固めただけの掘立小屋を建てて雨風を凌ぐしかなかった。
だが、その小屋を建てた場所は、季師父が選んだものではなかった。彼が毎日放牧に出ていた老黄牛が、夕暮れ時になると決まって足を止め、四肢を折り曲げて静かに眠りに就く、小さな土の窪みであった。
不思議なことに、その窪みは冬の烈風が吹き荒れる日であっても風がピタリと凪ぎ、真冬の薄氷が張る朝でも、なぜかそこだけ霜が降りず、陽光の温もりが夕刻まで淡く留まる場所であった。
少年は老牛の傍らに身を寄せ、その分厚い背中の体温を分け合って極寒の夜を生き延びた。村人の小作仕事や開墾を手伝って日銭を稼ぎ、数年の歳月をかけて、その土窪に粗末ながらも雨露を凌げる藁葺きの土室を築き上げたのである。
ところが、彼がようやく人心地ついた頃、突如として村の党支部書記が怒鳴り込んできた。
「おい、お前! なぜ公有地を勝手に占拠して家を建てているんだ! 直ちにそこを更地にして立ち退け。さもなくば実力行使で叩き壊すぞ!」
季師父は激怒した。かつて理不尽な分家によって路頭に迷った際、泣きついた村長は「家の揉め事に役所は関わらん。空いている土地ならどこにでも勝手に小屋を建てろ」と冷たくあしらったのだ。
それがいざ家らしくなると、泥棒扱いして追い出そうというのか。
「立ち退く土地などどこにもねえ! 壊したくば壊せ! 俺とこの牛の命を奪ってからにしろ!」
少年は農具の鉄熊手(フォーク)を握りしめ、老牛とともに血相を変えて抵抗した。幾度かやってきた立ち退き隊の屈強な男たちも、野生の獣のように目を血走らせた一人と一頭の気迫に圧され、手引きせざるを得なかった。
膠着状態が続いたある夜、村長は態度を軟化させ、一本の安酒を抱えて季師父のあばら家を訪ねてきた。
「悪かったな、手荒な真似をして。……だがな、俺にもどうにもならん事情があるんだ。実を言うと、この土地をどうしても明け渡してもらわねばならんのだよ」
村長が語った真相は、当時の中国全土を覆っていた時代の激変——「改革開放」と「外資誘致」の熱狂にまつわるものであった。
第二章 瓜皮帽の老風水師と、禽獣の法
かつてその村には、国共内戦の最中に国民党軍に徴用され、戦場を転々とした一人の貧しい農民がいた。その男はある激戦において国民党の高級将軍の身代わりとなって銃弾を浴び、その功績によって将軍の身辺警護官に取り立てられ、1949年の国民党敗走に伴って台湾へと渡っていた。
その後、その男の子孫は台湾の急速な経済成長の波に乗り、アジア全域に名をとどろかす巨大コンツェルンの創業主——すなわち巨万の富を誇る大華僑へと成り上がっていたのである。
折しも、中国本土では外資導入を至上命題とする経済改革の嵐が吹き荒れていた。
地元県政府は、この台湾の大富豪を郷土の誇りとして歓待し、数十億元規模の投資を取り付けるべく血眼になっていた。しかし、招致の打診を受けた老華僑は、冷ややかにこう言い放ったという。
「故郷への投資は吝かではない。だが聞けば、文革の狂乱の折、我が一族の先祖代々の墓所はことごとく暴かれ、遺骨は打ち捨てられたというではないか。先祖の眠りを護れぬ不孝者が、どうして故郷の土を踏めようか!」
地方政府は震撼した。もし投資案件が水泡に帰せば、村長はおろか県長(知事)の首すら何本飛ぶか分からない。県を挙げた大捜索の末、荒れ果てた墓の残骸が特定されたが、すでに数十年が経過した地所は無残に削られ、かつての面影は失われていた。
そこで老華僑は、先祖の霊魂を改葬するため、台湾から高名な老風水師を伴って帰郷したのである。
風水師は対襟(伝統的な立ち襟の上着)を身に纏い、頭に黒い瓜皮帽(清朝風の丸帽子)を載せた、いかにも旧時代の名残をとどめる異様な古老であった。風水師は真鍮の羅盤(磁石)を手に、数日間にわたって周辺の山野をくまなく踏査した。そして、嘆息混じりにこう宣告したのだ。
「古き墓所の地脈はすでに寸断され、龍気は散じた。遠方への改葬は先祖の霊を驚かせる。……だが幸いにも、この山背の向こうに、天の恵みのごとき無類の吉穴(龍穴)がひとつだけ残されている」
老風水師の羅盤の針が狂いなく指し示した場所——それこそが、季師父があばら家を建てていた、あの老牛が眠る土窪であった。
「あの老風水師なら知っている」と季師父は振り返った。
立ち退き騒動の最中、瓜皮帽を被った小柄な老人が、散歩がてらを装って何度も少年の小屋を訪ねてきていた。老人はいつも笑顔で湯水を求め、少年と他愛のない雑談を交わしては、小屋の周囲の土の湿り気や、軒先の風の流れをじっと観察していたのだという。
真相を悟った少年は、村長に向かって言った。
「国の一大事なら、俺のような孤児が意地を張る筋合いじゃねえ。別の土地をあてがってくれるなら、三日のうちに立ち退いてやる」
翌日、あばら家を畳む準備をしていた少年のもとへ、あの老風水師が再び現れた。
老人は少年の前に立ち、深く頷いて言った。
「道理を弁えた若者よ。お前がここを譲ってくれたおかげで、一族の因縁は救われた。……ところで、ひとつ尋ねたい。
お前はこの地の風水を、誰に教わったのだ? なぜ寸分の狂いもなく、龍脈の気が結集するこの極小の坪座を選び取ることができた?」
少年はあっけらかんと答えた。
「誰にも教わっちゃいねえよ。俺の牛が、毎日ここに寝転がるのが好きだったから、真似して小屋を建てただけだ」
老風水師は一瞬目を見張り、やがて天を仰いで笑った。
「なんと……! まこと『牛眠の地(ぎゅうみんのち)』を、人が探すのではなく牛自らが指し示したというのか! 大地が呼んだのだな」
老風水師は少年に、中国の古典『晋書』に見える陶侃(とうかん)の故事を語った。葬地を求めていた陶侃が、失踪した牛の眠る場所を吉地として示され、のちに位人臣を極めたという「牛眠地」の典故である。動物が地磁気や地下水を完璧に見極めるという説明は現代科学で確立したものではないが、風や湿気、地温を身体で避ける獣の姿は、土地を読む者にとって古くから格好の徴(しるし)だった。
「一杯の水を恵まれた縁だ。お前に二つの術を授けよう」
老風水師はその場で腰を下ろし、少年に向かって秘伝の口訣を口伝した。
一つは、鳥獣の挙動から吉凶と地脈を読み解く「禽獣観相法」——すなわち《白犬泣けば禍あり、黒猫鳴けば陰気至る、喜雀飛ばば吉報来たり、梟笑わば魂散ず》という、動物たちの生態と気の連動を観察する術であった。獣が好んで巣を作る場所、渡り鳥が羽を休める木、蟻が急いで巣口を塞ぐ方角には、すべて天道の運行が刻まれている。
そしてもう一つが、人間の掌に刻まれた紋様から、その肉体に宿る陰陽の偏りを看破する手相の初歩であった。
少年はその日を境に、老牛の眼の動き、野鳥の飛来、山羊の歩み方を貪るように観察し始めた。老黄牛が草を食む姿勢、泥を浴びる時刻、風を避けて蹲る角度のすべてが、彼にとって生きた教科書となったのである。
第三章 黒金の狂乱と、炭鉱の「冥婚」
やがて青年となった季師父は、老風水師から授かった観察眼を武器に、近隣の農民たちの墓所(陰宅)の選定や吉凶の相談に乗るようになった。
彼の見立てた墓は不思議と祟りを起こさず、残された家系には息災が続いた。彼の名は瞬く間に黄土高原の山谷を越えて広がり、二十代半ばを迎える頃には、陝北一帯で知らぬ者のない新進気鋭の風水師として知られるようになっていた。
しかし、時代は1990年代半ば——中国の産業化を支える「黒い黄金(石炭)」の採掘ラッシュが、黄土の静寂を暴力的に踏みにじり始めた時代であった。
陝北の乾燥した大地の下には、無尽蔵の石炭層が眠っていた。
一獲千金を狙う鉱山主たちが群がり、山肌には雨後の筍のように無許可の小炭鉱(私掘炭鉱)が乱立した。安全基準など無きに等しい地底数百メートルの切羽では、メタンガスの爆発、落盤、地下水の突出が日常茶飯事であり、毎日のように名もなき抗夫たちが落盤の犠牲となって圧死していった。
その死の現場において、極めて歪で強固な民俗習俗が猛威を振るっていた。
——「冥婚(めいこん)」である。
過酷な炭鉱には、貧困にあえぐ農村から多くの「光棍(未婚の独身男性)」が流れ込んだと季師父は語った。故郷へ送金し、結婚資金を稼ぐため、危険な私掘坑へ降りる。彼の記憶では、坑道へ入る前に「生死契」と呼ばれる免責同意書へ拇印を押させる場所さえあったという。
季師父のいた地域では、独身の若い坑夫が事故で死ぬと、未婚の魂が「孤魂野鬼」となって坑道を彷徨い、次の落盤を招くと恐れる家もあったという。ただし冥婚の受け止め方は地域と家ごとに異なり、遺族すべてが同じ行動を強いられたわけではない。
死者を鎮める唯一の手段は、死後において彼に「嫁」を娶らせ、同じ墓穴に合葬すること——すなわち「配骨(冥婚)」であった。
それゆえ、遺族は賠償金の大半を注ぎ込んで、若くして病死した女性の遺体(湿屍)を探し回った。
需要は供給を遥かに上回り、やがて炭鉱地帯における女性の死体価格は異常な高騰を見せ始めた。生きた女の結納金が数万元であった時代に、若い女性の遺体は十万、二十万という途方もない高値で取引されたのである。死体泥棒が横行し、埋葬されたばかりの娘の墓が暴かれ、盗まれた遺体が遠方の炭鉱主へと転売される地獄絵図が日常化していた。
風水師としての名声を得ていた季師父のもとにも、そうした冥婚の墓所を選定してほしいという依頼が頻繁に舞い込むようになった。
「あの頃の炭鉱地帯は、完全に狂気に冒されていました」と季師父は苦い表情で振り返った。
「本来の冥婚はね、哀れな死者を弔うための、哀切な慰霊の儀礼だったはずなんです。だが、金が絡んだ瞬間、それはただの醜悪な肉の売買へと成り下がった。……だが、私のような流れの風水師は、依頼主が運んできた二つの棺がきちんと吉方位に収まるよう羅盤を合わせるしかない。
余計な詮索は命取りになる。そう自分に言い聞かせて、見て見ぬ振りを続けていたんです」
だが、ある年の冬。
彼は、決して踏み越えてはならない「人間の領域の境界線」を、目の当たりにすることとなった。
第四章 生贄の婚礼——檻の中の天之驕子
その依頼主は、貧しい抗夫の遺族などではなかった。
周辺で十数箇所の炭鉱を牛耳り、私設の武装警備隊を抱えて地方の警察すら手懐けていた、悪名高い炭鉱財閥の「煤老板(炭鉱成金)」であった。
その炭鉱主には、甘やかされて育った二人の放蕩息子がいた。
ある夜、二人は高級ナイトクラブの個室で、一人のホステスを巡って激しい口論を始めた。酒と薬物に狂った兄弟の諍いはやがて刃傷沙汰へと発展し、長男が割れたビール瓶で弟の喉笛を掻き切って即死させ、重傷を負った長男もまた、駆けつけた救急車のベッドの上で翌朝息を引き取った。
一夜にして、血を分けた二人の息子が相討ちとなって絶命したのである。
一族の後継者を完全に失い、狂乱した炭鉱主の怒りと悲痛は、常軌を逸した妄執へと転化した。
「俺の息子たちに、この世で最も豪勢な婚礼を挙げさせてやる。あの世で寂しい思いは絶対にさせん! 二人揃って、地下の玄宮で永遠の契りを結ばせるのだ!」
炭鉱主が命じたのは、前代未聞の「曠世の冥婚(空前絶後の死霊結婚)」であった。
しかし、大富豪の息子たちに相応しい「花嫁」として用意されたものは、病死した寒村の娘の遺体などではなかった。
風水の鑑定を依頼され、炭鉱主の私邸である山奥の要塞のような屋敷へ通された季師父は、土間の奥にある鉄格子の部屋へ案内された瞬間、全身の血液が沸騰するような戦慄を覚えた。
薄暗い部屋の冷たいコンクリートの床の上に、二人の若い女が転がされていた。
二人は猿ぐつわを噛まされ、太い麻縄で後ろ手に固く縛り上げられていた。その着衣は泥に汚れ、引き裂かれていたが、仕立ての良さは一目で分かった。流行のコート、洗練された眼鏡、そして知性を宿した瞳——どう見ても農村の娘ではない。
大都市の大学に通う、前途ある女子大生であった。
部屋の周囲を取り囲む屈強な私設警備員たちは、猟銃を肩に担ぎ、下卑た笑みを浮かべて煙草を燻らせていた。
季師父が震える指先を隠しながら、「この方たちは……?」と問うと、警備隊長は事も無げに吐き捨てた。
「若旦那たちの嫁入り道具よ。北京と西安の有名大学から、わざわざ選りすぐって連れてこさせた正真正銘の『天之驕子(エリート)』だ。死体じゃ格が落ちるからな、生きている最高の上玉をそのまま棺に納めて、若旦那たちと一緒に土の中へ埋めてやるのさ!
」
季師父の眼前が真っ暗になった。
死体ですらなく、生きた生身の人間を、死んだ息子たちの「生贄」として生き埋めにしようというのだ。
のちに季師父が耳にしたところでは、その背後には複数の都市を結ぶ「冥婚専門の人身売買組織」があったという。ここからの内容は彼の伝聞であり、個別事件として裏付けられた捜査記録ではない。
彼らは合法的な優良企業や職業斡旋所を装って大都市のキャンパスで「高収入の事務職」「幹部候補のインターン」といった偽の求人広告を打ち出し、応募してきた女子学生を言葉巧みに拉致して山間部の隠れ家へと監禁していたのである。
顧客の要望に応じて年齢、容姿、血液型、そして「生年月日の八字」に至るまでを記録し、富裕層の死者の「配偶者」として密売する——季師父は、そうした底なしの暗黒産業が存在すると聞かされた。冥婚に伴う遺体盗掘や売買は研究・裁判記録にも現れるが、本稿のような生者の組織的な祭婚は、物語中の証言として扱う。
「……風水師の先生よ」
警備隊長が冷酷な眼で季師父の肩を叩いた。
「若旦那たちの霊魂が永久に鎮まるよう、最高の吉穴を見極めてくれや。埋葬の時間は、明日の夜半の丑の刻だ。手抜かりがあったら、あんたも一緒に穴へ入ってもらうぜ」
季師父は奥歯を噛み締め、必死に平静を装って頭を下げた。
「……承知いたしました。若旦那様がたの御霊が迷わぬよう、万全の地脈を拝見いたします」
踵を返そうとしたその瞬間、鉄格子の奥に倒れていた女子学生の一人と、視線が交錯した。
娘の目には、死への絶望と、生への凄絶な執念が燃え盛っていた。
娘は激しく身を捩り、拘束された足先で、床に落ちていた一片の小さな紙切れを、必死に季師父の足元へと蹴り寄せてきたのである。
第五章 特警の閃光と、地底の救出劇
季師父は誰にも悟られぬよう、靴底でその紙切れを踏みつけ、屋敷の外へと出た瞬間に掌の中へ滑り込ませた。
山林の闇に紛れて紙片を開くと、そこには震える筆跡で、一つの固定電話の番号と、短い言葉が走り書きされていた。
《父は○○省の高級幹部です。救けてください。この恩は必ず命に代えて報います》
季師父は全身から噴き出す冷汗を拭った。
もし通報が露見すれば、炭鉱主が放つ刺客によって、自分は老牛もろとも山中で射殺され、どこかの竪坑の底へ放り込まれることは確実であった。だが、あのみずみずしい若き命が、冷たい泥の中で生きたまま腐敗していく光景を黙過することは、天地の理を奉じる者として絶対に許されなかった。
季師父は時間稼ぎに出た。
屋敷へ戻った彼は炭鉱主に向かい、厳粛な面持ちで嘘を並べ立てた。
「旦那様、大変な凶兆が出ました。現在の山背は白虎が猛威を振るっており、今夜埋葬を行えば、若旦那たちの霊は地縛霊となって一族の富を食い尽くします。真の龍気が通じるのは、三日後の黎明、東南の天門が開く瞬間に限られます!」
炭鉱主はその神託を信じ込み、生き埋めの儀礼を七十二時間延期することを命じた。
その日の深夜、季師父は監視の目を盗み、山道を十数キロメートル疾走して隣町の公衆電話へと飛び込んだ。震える指でダイヤルを回し、紙片の番号へと受話器を押し当てた。
電話口に出た男の声は低く、極めて沈着であったが、事態を告げた瞬間、受話器の向こうの空気が凍りつくのが分かった。
「……娘は生きているのだな?」
「間違いありません。ですが、猶予は二日しかありません!」
「分かった。君の名は?」
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