序章 雪夜の二鍋頭と、水盤に浮かぶ神骨
北京の冬は、骨の芯まで凍てつくような朔風とともにやってくる。
東三環南路、潘家園橋の西側一帯に広がる潘家園旧貨市場は、夜の闇に沈むと、昼間の喧騒が嘘のように静まり返る。掘り出し物を求めて蠢く群衆が去り、シャッターが固く下ろされた露地の片隅で、古い埃と錆びた鉄、そして地下の墓穴から引き揚げられた古物の冷気が、凍てついたアスファルトの上に澱んでいた。
その夜、北京の空からは前触れもなく牡丹雪が降り始め、街路樹のプラタナスの枝を白く染め上げていた。
私は懇意にしていた骨董商の小胖(シャオパン)に誘われ、彼の店の奥にある六畳ほどの小部屋に身を寄せていた。
小胖は丸々と太った顔に細い目を貼り付けたような男で、一見すると騙されやすい田舎の小男に見えるが、その実、死人を言いくるめて棺桶から宝を引きずり出すような抜け目のない古物商人である。
だが、その夜の彼は、普段の軽薄な冗談を一切口にしなかった。
彼は店の奥の神棚に上等な沈香を三本灯し、冷たい水で丁寧に手を洗うと、私を促して床に敷かれた敷物の上で三度、神棚に向かって深々と額を擦り付けさせたのである。
「おい、小胖。いつからそんな信心深い坊主になったんだ?」
私が茶化すように尋ねても、彼は細い目を険しく尖らせたまま、無言で壁の大型金庫を開けた。
中から取り出されたのは、頑丈なダイヤル式のジュラルミンケースであった。その蓋を開けると、中には古い紫檀の小箱が収められており、箱の蓋を押し開けると、幾重にも巻かれた朱色の絹布が現れた。
小胖は息を殺しながら、その布を一枚、また一枚と、赤子の産着を解くように剥がしていった。
現れたのは、二つの奇妙な物体であった。
一つは、乾燥した枯れ葉のように灰褐色に濁った、掌ほどの大きさの楕円形の薄片。表面には微細な筋が走り、油気のないエビせんべいのように乾涸らびていた。
もう一つは、握り拳ほどの大きさの、ゴツゴツと角張った白い石の塊であった。中央が不規則に窪み、石灰岩の破片のようにも見える。
「……何だ、これは。道端の落ち葉と石ころじゃないか」
私の言葉に、小胖は冷笑を浮かべた。
「落ち葉だと? よく見てな。これがこの世の理の外側にあるものだ」
小胖は茶卓の上の水差しを取り、灰色の薄片の上に冷水を数滴垂らした。
その刹那、私の喉から声にならない喘鳴が漏れた。
濁った薄片が、水に触れた箇所から瞬く間に色を変じたのだ。墨汁のような灰色が潮の引くように消え去り、底から透き通るような純白の青みが浮き上がり、氷のように透明な、美しい菱形の「鱗」へと変貌したのである。
小胖は無言のまま懐から研ぎ澄まされた彫刻刀を抜き、その半透明の鱗の表面を渾身の力で突き立て、火花を散らすように擦り付けた。だが、刃先は滑るばかりで、鱗の表面には髪の毛一本ほどの傷すら残らない。続いて卓上のライターの青い火焔で数分間にわたって炙り続けたが、鱗は煙を上げることもなく、指で触れると不思議なことに氷水のように冷え切ったままであった。
「次はこれだ」
小胖は白い石の塊——いや、複雑な気孔を持つ骨の破片を机の中央に置いた。
中央の空洞に、水差しから冷水を注ぎ込む。水は骨の窪みを満たし、やがて縁の高さまで達した。
普通であれば、水は隙間から溢れ出し、机の上にこぼれ落ちるはずであった。
だが、水は溢れなかった。
小胖がさらに水を注ぎ続けると、表面張力という物理の限界を遥かに超え、水面は骨の縁から二寸、三寸と盛り上がり、まるで空中に見えない透明な器が存在するかのように、骨の真上に巨大な水球を形成して静止したのである。
水球の周囲からは、微かな冷たい白煙が立ち上り、六畳の部屋の温度が一瞬にして数度下がったのが肌で分かった。
「これが龍鱗だ」小胖は細い目を爛々と光らせ、私の顔を覗き込んだ。
「そしてこっちが、本物の龍の骨だ。……七、八年前、陝西の奥地で、命と引き換えに買い取ってきた、この大陸の最も暗い記憶の欠片だよ」
第一章 秦嶺の裏表——安康の路引と黄土の怨嗟
中国の骨董界には、古くから語り継がれる鉄則がある。
「地上の文物を見るなら山西へ行け、地下の宝を見るなら陝西へ行け」
周、秦、漢、唐をはじめとする十三の王朝が都を置いた陝西の大地は、山をくり抜いた巨大な皇帝陵から無名の盗掘坑に至るまで、幾千年の死者たちの骨と宝物が地層のように積み重なっている。貧しい農村の竈の奥から煤けた古銅器が転がり出し、それが北京のオークションで何千万元もの値をつけることすら珍しくない。それゆえ、潘家園に店を構える目利きたちは、定期的に陝西の寒村へと足を運び、泥にまみれた古物を買い漁る「掃貨(シァオフォ)」を繰り返していた。
小胖がその陝西掃貨の旅に出たのは、彼がまだ三十代前半の血気盛んな頃であった。
彼はまず、始皇帝陵や兵馬俑で名高い関中平原から、延安を中心とする陝北の黄土高原へと車を走らせた。だが、荒涼たる黄土の山々はすでに何重ものブローカーによって掘り尽くされており、手に入るのは近代の安物ばかりであった。
失望した小胖は、車を南へと向け、秦嶺山脈の険しい山道を越えて「陝南(せんなん)」の領域へと足を踏み入れた。
陝西省という土地は、東西に連なる大秦嶺を境にして、北と南で全く異なる顔を持つ。
北の陝北が、黄砂が吹き荒れ、雨が降らず、乾いた黄土の崖にヤオトン(洞窟住居)が穿たれた不毛の地であるのに対し、南の陝南は、漢江の清流が潤す緑豊かな盆地であり、気候も風土も江南の水郷に極めて近い。古くから「秦頭楚尾(秦の頭にして楚の尾)」と呼ばれ、独自の巫術や道教儀礼が色濃く残る土地であった。
小胖が滞在したのは、安康市郊外の山裾にある、漢江の渡し場に近い古い集落であった。
そこで彼は、思わぬ掘り出し物に遭遇した。
「路引(ろいん)」と呼ばれる、道士が死者の葬儀の際に用いる木製の冥界通行証である。
棗(ナツメ)や花梨の硬い木片に、雲龍の紋様と太上老君の符牒を彫り込み、死者の氏名と生年月日を刻んで、斎壇の法要の最中に焚き上げる。土地の農民にとってはただの薪同然の木片に過ぎなかったが、北京の富裕層や収集家の間では、精緻な民間彫刻として一つ数千元で飛ぶように売れる貴重な民俗文物であった。
小胖は地元の古い農家の中庭を一部屋借り、毎晩のように現地の地主や船頭たちを招いては、安酒と豚肉の燻製を振る舞い、古物の行方を探っていた。
問題の龍鱗と龍骨の噂が持ち上がったのは、長雨が続いたある湿度の高い夜のことであった。
酒宴の席上、泥酔した小胖はいつもの法螺を吹き鳴らしていた。
「陝西なんて大層な名前がついてるが、要するに黄砂と干ばつと土匪の巣窟だろうが。何代も王朝が滅びて、大地は骨と灰ばかりだ。黄土高坡の風に吹かれてりゃ、どんな大泥棒でも最後は飢え死にするのが関の山さ」
座敷の隅で、煙管を燻らせながら黙って酒を煽っていた家主の老人が、その言葉を聞いた瞬間、冷たい嘲笑を漏らした。
老人は安康の古い渡し守の末裔であり、深い皺に覆われた顔は長年の川風で青黒く鞣されていた。
「北京の若旦那、利いた風な口を利くもんじゃねえ。お前さんが知った風に喋っているのは、北の黄土の連中のことだ。この漢江の水で育った俺たち陝南の人間を、あんな乾涸らびた人殺しの土地の連中と一緒くたにするんじゃねえよ」
「へっ、陝北も陝南も同じ陝西省だろうが。何が違うってんだ?」
小胖が笑い飛ばすと、老人は煙管の灰を火鉢の縁にカツンと打ち付け、濁った眼で小胖を睨み据えた。
「血が違うのさ。……あっちの土の下にはな、飢えに狂って天の神仏を喰らい尽くした、消せねえ大罪の灰が埋まってるんだよ」
老人は懐から古い手拭いに包まれた小さな包みを取り出し、小胖の目の前の粗末な木の卓の上に放り出した。
包みがほどけた瞬間、座敷の空気が、まるで真冬の氷穴に落ちたかのようにピシリと凍りついた。
卓の上に現れたもの——それこそが、小胖が後に北京へ持ち帰ることになる、あの「灰色の鱗」と「白い骨」であったのだ。
第二章 踏雪尋梅の四十九頭——太陽を呪詛する祭壇
老人は、手酌で二鍋頭を喉へ流し込みながら、自らの祖父から枕元で聞かされたという、戦慄すべき一族の記憶を語り始めた。
老人の家系は、もともと陝南の出ではなかった。
彼の曾祖父の時代までは、陝西の最北部——毛烏素(ムウス)砂漠の縁に位置する、楡林の寒村で貧しい小作農を営んでいたという。
陝北という土地は、古来より「十年九旱(十年のうち九年は日照り)」と称される過酷な風土である。雨乞いは村落の存亡を賭けた最大の行事であり、雨が途絶えれば龍王廟に額づき、水路を穿ち、豊作を祈る社戯(神楽)を奉納するのが常であった。
だが、それでも雨が降らぬ凶作の年には、人々は神への祈りを捨て、古くから伝わる暴力的な呪法へと手を染めた。
大地の水気を吸い尽くす怪物「旱魃(かんばつ)」を暴き出して撲殺する「打旱魃」、あるいは村の境界を彷徨う死霊の首を落とす「殺旱鬼」。それでも駄目なら、雨を降らせぬ龍王の神像を泥の中に引きずり下ろし、鞭で打ち据える「打龍王」。彼らにとって、神仏とは敬うべき対象であると同時に、役目を果たさねば制裁を加えるべき自然の機構に過ぎなかった。
だが、あの年——一九二八年(民国十七年)の春から始まった日照りは、過去のいかなる伝承の範疇をも完全に超越していた。
冬の雪は一粒も降らず、立春を過ぎても空には一片の雲すら浮かばなかった。
太陽は狂乱した炉の蓋のように大地を焼き焦がし、黄土の表土は指先で触れるだけで砕け散る白い粉末と化した。夏作の麦は発芽することなく土の中で枯死し、秋作の粟を蒔くべき畑は、牛の蹄すら砕くほど硬い岩盤へと変貌した。井戸はことごとく干上がり、川底の泥は干涸らびて無数の亀裂を刻み、村人たちは泥水を漉してすすることすら叶わなくなった。
村の長老たちは、あらゆる手段を講じた。
龍王の像を三度打ち据え、道士を呼んで七日七晩の祈祷を捧げ、山林を捜索して怪しい古塚を暴いて焼き払った。
だが、空は青く澄み渡り、灼熱の陽光は容赦なく生者たちの皮膚を焼き爛れさせ続けた。
家畜が次々と斃れ、子供たちが泥のような黄色い胆汁を吐いて息絶えていく中、村の片隅の掘っ立て小屋に住んでいた一人の「盲目の易者(算命瞎子)」が、震える足で長老たちの前に現れたのである。
易者は、生まれつき両目を失った異形の老人であったが、骨を撫でて人の運命を言い当て、風の匂いから地中の水脈を嗅ぎ当てる奇相の持ち主として、村人たちから恐れられていた。
易者は濁った眼窩を虚空に向け、地を這うような掠れた声で囁いた。
「正道の祈りでは、この天の怒りは解けぬ。……太陽を呪い殺すしかない」
易者が提示したのは、陝北の古い巫術の禁忌の書に記されていたという、至凶の呪殺儀法——「黒蹄踏雪の泣天(こくていとうせつのきゅうてん)」であった。
その手順は、文字通り外道の所業であった。
まず、全身が漆黒の毛並みを持ちながら、四本の足首から先だけが純白の毛で覆われた特殊な犬——「黒蹄踏雪(雪を踏む黒馬の意)」と呼ばれる霊犬を捜索する。中国の民俗において、この毛並みを持つ犬は陰陽の境界を自由に行き来し、冥府の鬼神と直接通じる霊力を持つと信じられていた。
村の男たちは近隣の村落を巡り、家々の軒先から、あるいは野山を駆け回る野犬の群れから、その特徴を持つ犬をシラミ潰しに捕獲した。
そして、村の中央にある打谷場(穀物の脱穀広場)に、乾燥した黄土の煉瓦を積み上げて、高さ三丈(約十メートル)に達する巨大な祭壇が築かれた。
男たちは集められた犬たちの四肢を太い麻縄で祭壇の柱に縛り付け、その頭部を鋼鉄の鎹(かすがい)で天板に固定した。
さらに、易者の指示のもと、鋭利な剃刀を用いて、犬たちの上下の「瞼(まぶた)」が、皮一枚残さず切り落とされたのである。
瞬きを奪われた瞳。
四十九頭の黒犬は、頭上から降り注ぐ真夏の狂気じみた直射日光を、剥き出しの眼球で直視させられ続けた。
太陽の紫外線と熱風が、犬たちの角膜を白く濁らせ、毛細血管を焼き切り、眼球の硝子体をジュクジュクと沸騰させて溶かし出していく。
喉を焼かれた犬たちは、水を求めることも叶わず、ただ天に向かって、聞いたこともないような凄絶な断末魔の遠吠えを上げ続けた。
痛みに狂い、自らの舌を噛み切り、皮膚から脂を滴らせながら干涸らびていく四十九の命。
易者は祭壇の足元で銅鑼を打ち鳴らし、狂ったように叫び続けた。
「吠えろ! 呪え! その怨嗟を太陽の心臓へ突き立てろ! 天を呪い殺せッ!!」
一頭、また一頭と、犬たちの首が力なく垂れ下がっていった。
そして、七日目の夕暮れ、最後の四十九頭目の犬が、完全に乾涸らびた肉の塊となって息絶えた、まさにその瞬間であった。
ゴオオオオオオッ……!!
遥か西のオルドス高原の彼方から、大地を揺るがすような不気味な地鳴りが轟いた。
真昼の酷暑が、嘘のように冷え切った湿潤な風へと切り替わった。
見上げると、血のように赤く染まった夕暮れの空の裂け目から、墨汁をぶち撒けたような漆黒の雨雲が、地平線を呑み込むような速度で天空を覆い尽くしていったのである。
第三章 落雷の赤龍と、飢餓が生んだ狂気
天地が暗転した。
ピカッ!! という、網膜を焼き切るような閃光が天空を貫き、耳朶を粉砕する雷鳴が大地を叩いた。
狂乱の嵐が吹き荒れ、祭壇の土壁が一撃で崩壊した。
続いて降り注いできたのは、初夏に相応しくない、トウモロコシの粒ほどもある大粒の雨であった。
砂埃に塗れていた黄土の山肌が、瞬く間に泥の濁流へと変貌していく。
村人たちは狂喜乱舞した。
男も女も雨の中に飛び出し、壊れた洗面器や鉄鍋を打ち鳴らし、泥水を顔に塗りたくって天に向かって歓声を上げた。
だが、その歓喜の絶頂を切り裂いたのは、頭上の雷雲の中で繰り広げられていた、およそ人間の理解を超絶した「異形の激闘」であった。
黒雲の深奥が、血のように真っ赤に発光していた。
雷雲が渦を巻く中央で、巨大な「火の玉」が、身をよじるようにして天空を疾走していたのだ。
一筋、二筋、十筋。
天の底から無数の紫色の神雷が、まるで意志を持った槍の群れのように、その赤い光塊に向かって集中砲火を浴びせかけていた。
雲を切り裂いて現れたのは、巨大な蛇の如き長大な肉体であった。
赤銅色に輝く無数の硬鱗、猛禽の鉤爪、鹿の枝角、そして火焔を噴き上げる長い髭。
それは、雲海を掻き分けて天へと昇ろうと必死にもがく、一頭の巨大な「赤龍」の姿そのものであった。
だが、雷撃は容赦がなかった。
ドォォン! ドォォン! という凄まじい爆縮音が響くたび、赤龍の巨躯から真っ赤な血飛沫と、砕け散った鱗の破片が雨とともに地上へと降り注いだ。
龍は苦悶の咆哮を上げ、尾を振って雲を払おうとしたが、最後の一際巨大な白銀の落雷がその頭頂部を直撃した。
バチィィッ!!
赤龍の首が不自然な角度に跳ね上がり、天を支えていた浮力が完全に失われた。
怪異の巨躯は、火を吹く隕石のように螺旋を描きながら落下し、村の裏手の段丘の斜面へと、山を崩さんばかりの轟音を立てて激突したのである。
雨は降り続いていた。
泥水に足を取られながら、村の屈強な若者たちが鋤や鍬を手に、恐る恐る落下の現場へと近づいていった。
赤土の斜面が数百メートルにわたって抉り取られ、立ち上る白煙の底に、その怪物が横たわっていた。
全長は十丈(約三十メートル)を超えていた。
全身を覆う鱗は、磨き上げられた赤銅のように鈍い光を放ち、頭部は馬のように長く、その額からは一本の巨大な角が、半ば雷でへし折られた状態で突き出していた。
怪物はすでに絶命していたのか、あるいは瀕死の重傷であったのか、泥の中に深く頭部を沈め、微動だにしなかった。傷口からは生温かい、どこか芳しい沈香のような匂いを放つ深紅の血が、泉のように湧き出して泥水を染めていた。
村人たちが恐怖のあまりその場に跪き、額を地面に打ち付けて平伏しようとした、その時であった。
人混みを掻き分けて、あの盲目の易者が駆けつけてきた。
泥にまみれ、息を切らした老易者は、横たわる巨躯に手を触れ、その鱗の感触を指先で確かめるなり、天を仰いで狂気じみた哄笑を上げたのだ。
「金翅金鱗、蛇身馬頭、鹿角鷹爪……! 間違いねえ、天から墜ちてきた本物の赤龍だ!」
易者は盲いた眼をカッと見開き、集まった飢民たちに向かって叫んだ。
「お前たち、何を拝んでいる! 拝んで腹が膨れるのか! この龍こそが、この陝西の地に居座り、すべての雨雲を食い尽くしていた日照りの元凶なのだ!
我が放った四十九頭の黒犬の怨嗟が、天帝を動かし、この怪物を引きずり降ろしたのだぞ!」
人々は息を呑んだ。
易者は自らの着物の裾を裂き、唾を飛ばしながら言葉を継いだ。
「『封神演義』を見よ! かつて太公望・姜子牙は、龍堆の地を穿ちて龍の肉を食らい、八百歳の長寿を得たと記されている! この龍の肉を一口喰らえば、飢えが癒えるばかりか、人は病を脱し、不老不死の仙人となることができるのだ!
……神仏が我らに下された、最高の肉の山ではないかッ!」
不老不死。
その言葉が、数ヶ月にわたって木の皮を剥ぎ、泥水を啜り、自らの子供の死体を前にして正気を失いかけていた飢民たちの脳髄に火をつけた。
飢餓という名の獣が、人間が何千年もかけて築き上げてきた倫理の防壁を一瞬にして食い破ったのだ。
「肉だ……!」
「神仙の肉だ! 食えば生きられるぞ!」
誰かが叫び、手にしていた錆びた包丁を龍の死骸へと突き立てた。
その瞬間、数百人の村人が、飢えた野犬の群れのように、一斉に赤龍の巨躯へと雪崩れ込んだのである。
第四章 透き通る臓腑と、天火の自焼
「待て! 待てッ!!」
狂乱の群衆を前にして、突如として易者が金切り声を上げて制止に入った。
彼の顔からは、先ほどの傲慢な笑みが消え失せ、底知れぬ恐怖の色が張り付いていた。
「食うのは構わん! だが、決して口にしてはならぬ言葉がある! 『封神演義』の古訓を忘れるな!
肉を切り取るとき、決して『龍』という文字を口にするな! 『これは龍の肉だ』と叫んだ瞬間、九天の真龍が激怒し、天雷が落ちて肉を食らう者を粉砕するぞ! 黙って食え!
決して名を呼ぶなッ!」
だが、血の匂いを前にした群衆の耳に、老人の警告など届くはずもなかった。
人々は我先にと怪物の傷口に指を突っ込み、硬い鱗を引き剥がし、生温かい赤身の肉を指先で引き裂いた。包丁を持つ者は骨を削り、素手の者は爪を立てて肉片をむしり取った。
雨水で薄まった龍の血が、泥炭のように男たちの顔面や胸元を真っ赤に染め上げていく。
「龍肉だ! 天下の龍肉だぞ!」
「美味い、甘いぞ! これが神仙の肉だ!!」
誰かが歓喜のあまり叫び声を上げた。
その禁忌の単語が口皮を破った瞬間、頭上の空が異変を告げた。
雨が、ピタリと止んだ。
大粒の雨滴が一瞬にして蒸発し、再び大気は熱した鉄板のような乾いた静寂へと引き戻された。
そして、雲の切れ目から、紫色の「乾いた稲妻(旱天雷)」が、爆竹を連打するように天空を埋め尽くしたのである。
「ああっ……! 名を呼んだな! 天が怒られたッ!」
易者は泥の中に倒れ伏し、自らの頭を両手で抱え込んで号泣した。
惨劇は、肉を飲み込んだ者たちの胎内から幕を開けた。
「あ、熱い……!」
最初に龍の肝の塊を生のまま貪り食った大柄な男が、突如として自らの喉元を掻きむしりながら転倒した。
男の皮膚が、まるで内側に炭火を押し込まれたかのように、急速に赤黒く変色していく。
「腹が……胃袋が燃えているッ!」
男たちは身につけていた襤褸切れを狂ったように引き裂き、全裸になって泥の上を転げ回った。
だが、泥水に飛び込んでも、体内の熱は冷めるどころか、皮膚に触れた泥がジュウジュウと音を立てて白い蒸気を噴き上げるばかりであった。
小胖の曾祖父は、その時、群衆の後方にいた。
彼もまた飢えに震え、肉の分け前に預かろうと列に並んでいたが、体躯が小さかったために屈強な男たちに押し飛ばされ、幸運にも怪物の肉に指一本触れることができずにいたのだ。
泥の中に膝をついた曾祖父の網膜に、地獄絵図が焼き付けられた。
男たちの皮膚が、目に見えて「変質」を始めたのである。
皮下脂肪と筋肉が、内側から発する強烈な光によって融解し、陶器のように、あるいは磨き上げられた水晶のように、薄く透き通り始めたのだ。
肋骨の形、肺胞の伸縮、そして何よりも、胸の中央でドクンドクンと狂ったように脈打つ心臓と胃袋の輪郭が、皮膚の外側から透けて丸見えになっていく。
そして、その透き通った内臓の深奥で、青白い「霊火」がメラメラと燃え盛っていた。
『熱い! 助けてくれ! 水をくれええええッ!!』
男たちは叫びながら、自らの髪の毛を束ごと力任せに引き抜き始めた。頭皮から黒い髪が根こそぎ剥がれ落ち、開いた毛穴から、タールのような黄色い煙が噴き出す。
耳の穴から、鼻腔から、眼球の隙間から、シューッという激しい異音とともに、青白い火焔が噴流となって吹き荒れた。
やがて、五臓六腑を内側から焼き尽くされた者たちは、バタバタと泥の上に倒れ伏し、全身を激しく痙攣させながら、わずか数分のうちに、炭化して黒い灰の塊へと崩れ去っていったのである。
肉を口にした数十人の村人が、誰一人として生き残ることなく、自らの体内で燃え上がった天火によって、骨の髄まで焼き尽くされた。
生き残った者たちは腰を抜かし、失禁しながら四散した。
曾祖父は恐怖のあまり立ち上がることができず、泥水を啜りながらその場に平伏し続けた。
夜が明けた時、あの三十メートルに及ぶ巨躯を誇っていた赤龍の残骸は、不思議なことに、跡形もなく消滅していたという。
大地に残されていたのは、雷火によってガラス質に変色した数本の焦土の溝と、地面に散乱していた、焼け残ったわずかな「鱗」と、砕けた「角の骨」の破片だけであった。
曾祖父は震える手で、足元に落ちていた一枚の鱗と、小さな骨の欠片を懐へと滑り込ませると、家族の手を引いて、その日のうちに楡林の村を捨てた。
着の身着のまま、南へ、南へと逃げ延びたのである。
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