序章 「恨(ハン)」の堆積と、朝鮮半島の煞気
怪異というものの根底に流れる情念を比較するとき、東アジアの三つの国が抱く「死者への眼差し」には、明確な差異が認められる。
日本の怪談が、水気を帯びた陰湿な怨念として個人の背後に忍び寄る「怨霊」の系譜であり、中国の志怪が、天地の理や風水の均衡が崩れた際に噴出する「妖異・地煞」の力学であるとするならば、朝鮮半島の怪異譚を支配しているのは、ただ一文字——「恨(ハン)」の概念である。
「恨」とは、単なる他者への憎悪や復讐心ではない。
不慮の非業、歴史の理不尽、戦争の暴力、あるいは貧困によって、若くして尊厳を奪われ、誰にも看取られることなく泥の中に打ち捨てられた魂魄が、胸の奥底に凝固させた「晴らせぬ哀傷」の結晶である。
天寿を全うできず、子孫からの祭祀(チェサ)を受けることすら叶わぬそれらの死者は、「枉死鬼(ワンサグィ)」あるいは「怨魂(ウォノン)」と呼ばれ、冥府へ旅立つ道を閉ざされたまま、自らが絶命した土壌の裂け目に爪を立てて留まり続ける。
そして、それらの荒ぶる魂を宥め、現世の結び目を解きほぐすために存在するのが、数千年の伝統を誇る朝鮮の土着シャーマニズム——「巫俗(ムソク)」であり、神霊と死者を媒介する女性司祭「巫堂(ムーダン)」である。
巫堂が激しく鈴を鳴らし、神刃を振り回し、死者の怨嗟を自らの肉体に憑依させて涙ながらに語り直す儀礼「クッ(解冤祭)」を行わなければ、その土地に堆積した「恨」は、やがて大地の磁場そのものを腐食させ、生者を無差別に狂気へと引きずり込む致死性の毒へと変質していくのだ。
この朝鮮半島特有の霊的力学が、二十世紀の戦争の悲劇と、戦後社会の急速な経済発展の傲慢と衝突したとき、いかなる惨劇が幕を開けるのか。
韓国東南部、慶尚北道(キョンサンブクト)盈徳(ヨンドク)郡——。
東海水域(日本海)の青く澄み渡った海岸線を貫く国道七号線の傍らに、かつて韓国全土で「三大凶宅(三大心霊スポット)」の筆頭として恐れられ、訪れる者をことごとく狂乱と不審死の淵へと突き落とした、ある白亜の廃屋が存在した。
世人はそれを、ただ単に「盈徳の幽霊屋敷(ヨンドク・ヒョンガ)」と呼ぶ。
だが、そのコンクリートの壁の奥深くに埋もれていたのは、陳腐なオカルトの噂話などでは断じてなかった——本稿は、そう語る一つの物語として、この廃屋の伝説を辿り直す。
第一章 国道七号線の白亜楼——連鎖する狂気と不審死
盈徳郡南亭面(ナムジョンミョン)の海岸段丘。
目の前には抜けるような水平線が広がり、背後には太白山脈の南端が屏風のように迫る風光明媚なこの地に、その奇妙な二階建ての建物が建設されたのは、韓国が高度経済成長の狂騒に沸き立っていた一九八〇年代の初頭であった。
当初、この建物は一人の野心的な実業家によって、富裕層向けの別荘、兼レストランとして設計された。
東海の朝焼けを一望できる巨大なガラス窓、瀟洒な洋風の瓦屋根、そして広々とした駐車場。
だが、基礎工事が始まったまさにその日から、現場には不穏な影が差し始めていた。
掘削作業を行っていた重機が、何もない平地で突然横転して作業員が下敷きになり、足場から落下して脊椎を骨折する者が続出。夜間警備のために現場に泊まり込んだ工夫たちは、誰もいない基礎のコンクリートの底から、
「寒い……足が冷たい……」
という、無数の少年たちの呻き声が重なって聞こえてくると訴え、賃金を放棄して次々と逃げ出した。
それでも無理やり工事は強行され、建物は落成した。
しかし、その落成を祝う祝宴のわずか数日後、初代オーナーであるその実業家は、ソウルへ向かう帰路の途上、見通しの良いハイウェイで対向車線のトラックに正面から激突し、即死を遂げたのである。
その後、主を失った建物は競売にかけられ、ある中年女性がこれを買い取った。
女性は一階を地元の名産であるズワイガニ(盈徳テゲ)やヒラメを振る舞う大規模な海鮮料理店(刺身屋)へと改装し、二階を自らの住居とした。
幹線道路沿いという好立地も手伝い、開店当初、店は大いに繁盛した。生け簀には新鮮な海の幸が泳ぎ、週末になれば観光客の車が列をなした。
だが、繁栄の仮面は、わずか一年足らずで内側から崩壊を始めた。
異変は、まず店の「音」として現れた。
深夜、営業を終えて静まり返った店内で、二階の寝室にいた女性の耳に、階下の厨房から、
ドシン、ドシン、ドシン……
と、重い軍靴(コンバットブーツ)で床を踏み鳴らしながら行進するような、統制された複数の足音が響いてくるようになったのだ。
泥棒かと思い、護身用の包丁を手に恐る恐る階段を降りても、厨房には誰もいない。
ただ、氷のように冷え切った隙間風が吹き抜け、生け簀の中の魚たちが、何かに怯え狂ったように水面から飛び跳ねて、次々と腹を上にして死んでいくのであった。
続いて、怪異は物理的な浸食を開始した。
厨房の重厚なまな板が、夜の間に見えない刃物によって滅多刺しにされ、客に提供するはずの鍋の水が、一夜にして赤黒い錆びた鉄の臭気を放つ血水へと変色した。
さらに恐ろしいことに、女性の視界に「実体」が立ち現れ始めたのである。
夕暮れ時、薄暗くなった客席の隅、あるいは洗面所の鏡の向こう側に、ずぶ濡れの衣服を纏った若い男たちが、青白い顔をして直立不動で立っている。
彼らの服は、軍服のようであり、学生服のようでもあった。
ある者は頭部が半分砕けて脳漿を滴らせ、ある者は片腕を失い、千切れた肩の筋肉から海水と鮮血をポタポタと床のタイルへと垂らしていた。
彼らは何かを訴えかけるように、音のない唇を小刻みに動かし、女性の足首に向かって、濡れそぼった冷たい指先を伸ばしてくるのだ。
女性の精神は急速に磨耗していった。
重度の不眠症に冒され、常に誰かに見張られているという妄想に取り憑かれた彼女は、やがて真昼間から包丁を振り回して虚空を睨みつけるようになり、客足は完全に途絶えた。
そしてある嵐の夜、女性は店の二階の梁に太いビニールロープを掛け、自らその輪の中に首を預けたのである。
遺体が発見されたとき、死後数日が経過していたにもかかわらず、彼女の両足の爪先は、まるで水泳の直後のようにふやけ、海水と砂がびっしりとこびりついていたという。
その後も、この建物に手を出した者はことごとく破滅を迎えた。
格安の賃料に惹かれて入居した焼肉屋の主人は、開業から三ヶ月で原因不明の急性白血病を発症して吐血死。
建物を買い取って仏教の瞑想院にしようとした僧侶は、滞在初日の夜に発狂し、自らの衣を引き裂いて海岸の断崖から飛び降りた。
事故死、病死、自死、発狂——。
わずか十数年のあいだに、この敷地に関わった人間が次々と命を落とし、建物はいつしか誰の手にも負えぬ「死の檻」として、国道七号線の崖の上に打ち捨てられたのである。
第二章 巫堂(ムーダン)の遁走と、砕け散る鈴
一九九〇年代半ば、事態を重く見た地元の有志と土地の権利者たちは、この禍々しい連鎖を断ち切るため、韓国のシャーマニズム界において並ぶ者のない神通力を持つと謳われていた、江原道(カンウォンド)の高名な大巫堂(クンムーダン)——朴(パク)神母を招聘した。
朴神母は、朝鮮古来の「降神巫(カンシンム=神懸かりによって霊力を得る巫女)」の正統な継承者であり、数々の凄惨な殺人現場や呪われた土地の怨霊を調伏してきた、歴戦の霊媒であった。
彼女は二人の弟子と楽士たちを従え、五色の神旗(黄、赤、青、白、黒)、鋭利な三又の槍(神刀)、そして神霊の降臨を告げる真鍮の神鈴(ミョンドゥ)を携えて、盈徳の屋敷へと乗り込んだ。
儀礼は、旧暦七月十五日——陰気が極限に達する「中元(百中節)」の深夜に執り行われた。
建物の前庭には豪奢な供物壇が築かれ、茹で上げた豚の頭、果物の山、そして死者の喉を潤すための濁酒(マッコリ)が並べられた。
周囲には、噂を聞きつけた村人たちが遠巻きに息を殺して見守っていた。
夜十一時、ドラとチャング(朝鮮太鼓)のけたたましい打楽器の音が、漆黒の東海水域の夜気をつんざいた。
朴神母は白い苧麻の韓服に身を包み、手にした真鍮の鈴を激しく打ち鳴らしながら、旋回するように舞い始めた。
死者を呼び寄せ、その無念を聞き届けて成仏へと導く解冤の儀礼——「チルモジクッ」の始まりであった。
「オグ、オグ……哀れなる魂よ、名もなき荒野に散りし霊よ。何ゆえに現世に留まり、生者の首を絞めるのか。この母の懐に飛び込み、恨を解きて極楽へ旅立ちたまえ……!」
神母の唇から放たれる呪文は、悲壮にして激しい旋律を帯びていた。
初めのうち、風は穏やかであった。供壇の上の蝋燭の炎も、静かに夜空を照らしていた。
だが、神母が手にした神刀を空へと突き上げ、トランス状態(神懸かり)の極点へと達した、まさに午前零時ちょうどのことであった。
突如として、東海の海上から、竜巻のような冷酷な突風が吹き荒れた。
ヒュオオオオオオッ……!!
蝋燭の火が一瞬にして吹き消された。
供壇の上に置かれていた巨大な豚の頭が、見えない力によって薙ぎ払われ、砂利の上を転がり落ちた。
そして、闇に包まれた廃屋の二階——すべての窓ガラスが、内側から激しい勢いでビキビキと軋み始めたのだ。
「う……ぐっ……!」
神母の舞が、唐突に止まった。
彼女は自らの首元を両手で掻きむしり、その場に膝を突いた。
見れば、神母の顔面は酸素を奪われたかのように青黒く鬱血し、両目の白目には無数の毛細血管が破裂して、血の涙が頬を伝い始めていた。
神母の手の中で狂ったように鳴り響いていた真鍮の神鈴が、内側からの過大な圧力に耐えかねたように、
パリンッ!!
という乾いた金属音を立てて、粉々に砕け散ったのである。
「神母様!」弟子たちが駆け寄ろうとした。
だが、神母は弟子たちを狂ったような力で突き飛ばした。
彼女は床の砂利に両手を突き、胃液に混じった赤黒いタール状の液体を激しく嘔吐した。
そして、その喉の奥から絞り出された声は、もはや彼女自身の声ではなかった。
それは、変声期を迎えたばかりの、十代半ばの無数の少年たちが、恐怖と苦痛の極限で泣き叫んでいるかのような、幾重にも重なり合った異様な「多重音声」であった。
『寒い……! 助けて、母さん! 海から出られないんだ!』
『弾がない! 隊長、僕たちを捨てて行かないでくれ!!』
『痛い、足がないんだ! 撃たないでくれ、撃たないでくれええええッッ!!』
神母は自らの髪の毛を束ごと引き抜きながら、血走った眼を廃屋の暗黒へと向け、絶叫した。
「多すぎる……! 一人や二人ではない……何百人もの子供たちだ! 身体を蜂の巣にされ、冷たい塩水に呑まれた子供たちの霊が、この土の下にびっしりと埋まっている!
……私には背負えない! この恨の重さは、人間の神力で解けるようなものではないッ!」
朴神母は法具を投げ捨て、履物すら脱ぎ捨てた裸足のまま、取り憑かれたように夜の国道を狂乱状態で走り去った。
その翌月、彼女は長年祀っていた自らの神堂を畳み、二度と巫俗の儀礼を執り行うことはなかったという。
大巫堂の敗走。
この戦慄の結末によって、盈徳の凶宅は、もはや生身の人間が決して触れてはならない「神仏に見放された禁忌の領域」として、完全な沈黙の中へと封印されることとなったのである。
第三章 二〇〇〇年代の侵入者——暗視カメラの群れ
二〇〇〇年代に入ると、インターネットの普及とともに、この盈徳の廃屋は、韓国の若者たちの間で「最強の度胸試しスポット」として再び脚光を浴びることとなった。
荒れ果てた敷地の周囲には、警察による立ち入り禁止の黄色いテープと、地元自治体が設置した「警告板」が打ち立てられていた。
『危険・立入禁止。本建物内での事故について、一切の責任を負いません』
しかし、その警告こそが、恐怖に飢えた配信者やオカルト探偵たちの好奇心を激しく刺激した。
二〇一二年、韓国の某大手ケーブルテレビ局のオカルト検証番組の制作クルーが、複数の霊能者と最新鋭の暗視撮影機材を携え、この屋敷の内部への「公式潜入取材」を敢行した。
その取材チームのチーフ・ディレクターを務めていた金(キム)氏は、私の十年来の知己であり、数々の奇怪な現場を踏んできた筋金入りのテレビマンであった。
後年、ソウルの江南の居酒屋で酒を酌み交わした際、金氏は青ざめた顔で当時の録画テープの「裏側」を私に語ってくれた。
「先生、テレビで放送された映像はね、実際に起きたことの十分の一……いや、百分の一に過ぎないんですよ。残りの映像は、あまりの凄惨さと異常性に、放送通信審議委員会から即座にテープの破棄を命じられたんです」
その夜、取材クルーは午後十時に屋敷へと足を踏み入れた。
外壁の白ペンキは完全に剥落し、剥き出しのコンクリートには無数の落書きと、不気味な赤ペンキの痕跡が残されていた。一階の大広間には、かつての生け簀の残骸が砕け散り、床一面に割れたガラスと、天井から剥がれ落ちた石膏ボードが散乱していた。
異変は、機材をセッティングした直後に始まった。
新品のフル充電の業務用リチウムバッテリーが、カメラに装着したわずか三十秒後に、警告音とともに残量ゼロを示してシャットダウンしたのだ。一台ではない。予備のバッテリー五個、照明用の高輝度LEDライト、そして音声マイクの電源に至るまで、すべての電子機器が、あたかも不可視の巨大なスポンジによって電力を一瞬で吸い取られたかのように、沈黙した。
やむなく、クルーは手動発電式のアナログライトと、暗視サーモグラフィーカメラ(熱赤外線カメラ)を起動した。
絶対零度の闇の中、サーモグラフィーの液晶画面を覗き込んだカメラマンが、息を呑んで硬直した。
画面全体が、不気味な藍色——「極度の低温」を示していた。
室温は真夏であるにもかかわらず、局所的にマイナス四度まで急降下していた。
そして、その青い画面の中央——一階の大広間から二階へと続く吹き抜けの空間に、「人間の形をした無数の冷気の塊(コールドスポット)」が、びっしりと浮かび上がっていたのである。
一つ、二つ、三つではない。
十、二十、五十……。
それは、大人の背丈よりも頭一つ分低い、華奢な少年たちの輪郭であった。
彼らは肩を寄せ合い、壁際に隙間なく直立し、ある者は床にうずくまり、ある者は天井の配管から逆さにぶら下がり、全員が一斉に、カメラのレンズの方向へと自らの「顔」を向けていたのだ。
『……おい、マイクの音を拾え』
金氏が震える声で音声担当に耳打ちした。
ヘッドホンを耳に押し当てていた音声スタッフは、すでに顔面を蒼白にし、手をガタガタと震わせていた。
集音マイクが拾っていたのは、風の音ではなかった。
ピチャ……ピチャ……ピチャ……。
無数のずぶ濡れの足が、床のガラス片を踏みつけながら、クルーを取り囲むように輪を縮めてくる足音。
そして、コンクリートの壁の内部から直接響いてくる、
カチ……カチ……カチ……
という、何百人もの人間が、極度の寒さに歯の根を合わずに震わせている、激しい歯の衝突音であった。
その瞬間、同行していた自称霊能者の女性が、白目を剥いてその場に卒倒した。
同時に、二階の暗闇から、バケツをひっくり返したような大量の「海水」が、階段を滝のように流れ落ちてきたのである。
生臭い潮の臭気と、腐敗した血の臭いが混ざり合った濁流が、クルーの足首を濡らした。
「撤収だッ! 機材を捨てろ、逃げろ!!」
金氏の絶叫とともに、クルーは暗闇の中を我先にと脱出した。
車へ飛び込み、アクセルを全開にして国道七号線を疾走するバックミラーの中で、金氏は目撃したという。
あの白亜の廃屋の屋上、そして二階の窓という窓の縁に、びっしりと鈴なりになって身を乗り出し、夜の海に向かって敬礼の姿勢を取り続けていた、無数の少年たちの黒い影を。
第四章 長沙上陸作戦——七百七十二人の捨て石
なぜ、この盈徳の海岸段丘に、これほどまでに膨大な少年の怨霊が吹き溜まっているのか。
金氏から提供された座標と、韓国軍の公的記録、そして郷土史の闇に埋もれていた極秘資料を照合した私の前に浮かび上がったのは、近代朝鮮半島の歴史において最も痛ましく、最も残酷な軍事作戦の傷痕であった。
時計の針を、今から七十余年前——一九五〇年九月十四日の深夜へと巻き戻さねばならない。
朝鮮戦争の勃発直後、破竹の勢いで南進する北朝鮮人民軍の猛攻の前に、大韓民国軍と国連軍は、釜山を中心とするわずかな円弧状の防衛線(釜山円陣)へと追い詰められ、国家存亡の危機に瀕していた。
この絶望的な戦局を一挙に逆転させるため、国連軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が立案した乾坤一擲の奇襲作戦——それこそが、かの有名な「仁川(インチョン)上陸作戦」であった。
だが、主力部隊が仁川への上陸を成功させるためには、東海岸において大規模な陽動作戦を展開し、北朝鮮軍の視線と精鋭部隊をそちらへ完全に引きつけねばならなかった。
その陽動の生贄(デコイ)として選ばれた標的こそが、まさにこの盈徳郡南亭面の「長沙里(チャンサリ)海岸」であったのだ。
作戦名は、「長沙上陸作戦」。
この過酷極まる作戦に投入されたのは、訓練を積んだ正規兵などでは断じてなかった。
大邱(テグ)や釜山の街頭で愛国心を煽られ、わずか二週間の初歩的な小銃射撃訓練を受けただけの、名もなき「学徒義勇軍(学徒兵)」七百七十二名であった。
彼らの大半は、十五歳から十八歳の、まだ母親の作った温かい飯の味を忘れられない無垢な中高生たちであった。支給されたのは、錆びついた旧式のM1ガーランド小銃と、わずか数日分の乾パン、そして一人あたり数十発の粗悪な弾薬だけであった。
九月十四日未明、学徒兵たちを乗せた二千七百トンの輸送艦「汶山号(ムンサンホ)」は、暴風雨が吹き荒れる長沙里の沖合へと到達した。
折悪しく、東海水域を猛烈な台風が直撃していた。
激浪が巨艦を弄び、汶山号は海岸から数十メートルの浅瀬で座礁。船底を岩礁に引き裂かれ、航行不能に陥ったのである。
作戦計画は、上陸を果たす前に完全に崩壊した。
夜の海は鉛色の地獄と化し、重い装備を背負った少年たちは、荒れ狂う高波の中へと次々と飛び込まねばならなかった。
泳ぎを知らぬ無数の学徒兵が、暗黒の海へと呑み込まれ、冷たい波の底で溺死していった。
さらに凄惨であったのは、夜明けとともに始まった虐殺であった。
高台に堅固なトーチカを築いていた北朝鮮軍第五師団の精鋭部隊は、座礁した輸送艦と、波打ち際で這いずり回る学徒兵たちの姿を完全に捕捉していた。
重機関銃の掃射と迫撃砲の砲弾が、雨あられのように海岸へと降り注いだ。
遮蔽物の一切ない白い砂浜。
少年たちの肉体は、機銃弾によって文字通りミンチのように引き裂かれ、四肢が吹き飛び、内臓が砂の上に撒き散らされた。
海は彼らの生血によって赤黒く染まり、打ち寄せる波が、無数の少年の遺体を砂浜へと打ち上げ、再び引き潮がそれを海へと引きずり戻す地獄絵図。
彼らは増援も、補給も与えられず、冷たい砂浜の塹壕の中で、飢えと凍えに震えながら六日間にわたって孤立無援の肉弾戦を強いられた。
最終的に友軍の救助船が到着したとき、海岸を脱出できた者はごくわずかであった。
犠牲者の正確な内訳は資料によって異なるが、多くの学徒兵が戦死し、さらに多くが海へ消えて行方不明となり、負傷して動けなくなった者たちが海岸に取り残されたと伝えられている。
彼らの犠牲によって、仁川上陸作戦は見事に成功を収めた。
だが、歴史の輝かしい勝利の陰で、長沙里の砂浜に散った少年たちの存在は、長年にわたり軍の最高機密として封印され、公式の記録から抹殺された。
誰が死に、誰が生き残ったのかすら曖昧なまま、少年たちの亡骸は、回収されることもなく、冬の嵐が運んできた冷たい砂の下へと、そのまま埋没していったのである。
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