序章 シーロムのスコールと、胸元の異物

熱帯の雨季を迎えたバンコクの夕暮れは、大気そのものが沸騰した泥湯のように重く湿り、人間の肺腑にまとわりつく。

シーロム通りの高層オフィスビルから一歩外へ踏み出せば、頭上を走る高架鉄道の轟音と、排気ガスの熱気に煽られた屋台の油煙、そして降り注ぐ猛烈なスコールが、アスファルトの地表を一瞬にして濁流の底へと沈めていく。近代的なガラス張りの摩天楼が林立する足元で、何重もの祈りの花輪と赤い清涼飲料水の供えられた祠堂(サーン・プラプーム)が、雨煙の向こうに赤くぼんやりと浮かび上がる。この街において、最先端の金融資本主義と、数千年前の精霊信仰は、決して対立するものではない。

それらは互いの皮膚の裏側に爪を食い込ませ、一つの歪な怪奇として共生している。

タイの市井の人々のあいだでは、日々、名もなき人々による生々しい体験談が語り継がれている。その記憶の底に、ある若い女性会社員が震える指先で書き残した一本の手記が存在した。

題して、「実体験・二十五歳の厄年(プラソップガーン・ジン・ワイ・ベンジャペート)」。

それは、人生で最も不吉な転換期とされる「二十五歳」を迎えた彼女が、職場の同僚から善意の仮面を被って手渡された一個のプラクルアン(タイの仏牌・護符)によって、死の縁へと引きずり込まれていった戦慄の記憶であった。

第一章 親切な先輩と、透明な仏牌

ナパットがバンコク中心部の外資系消費財メーカーのマーケティング部に、中途採用のアシスタントマネージャーとして配属されたのは、二十四歳の終わりのことであった。

地方都市の名門大学を優秀な成績で卒業し、英語と中国語を自在に操る彼女の採用は、保守的な社内において一種の「外風」として受け止められた。特に、長年その部署で実務を仕切り、次のマネージャー昇進を確実視されていた三十代前半の女性社員・ダーにとって、ナパットの存在は自らの足元を脅かす明白な脅威であったはずだった。

だが、ダーの態度は驚くほど温厚であった。

「ナパットちゃん、分からないことがあったらいつでも聞いてね。このオフィスは男社会だから、私たち女性同士、助け合わなきゃいけないんだから」

ダーは常に完璧な化粧を施し、柔らかな微笑を浮かべてナパットの肩を抱いた。昼食には率先して彼女を近隣の高級タイ料理店へ誘い、業務の進捗を甲斐甲斐しく手助けした。ナパットは胸を撫で下ろし、都会の洗礼を免れた自らの幸運を喜んでいた。

異変の端緒は、ナパットが二十五歳の誕生日を迎えた翌週のランチタイムに訪れた。

タイの民間伝承において、二十五歳という年齢は「ワイ・ベンジャペート」と呼ばれ、古代サンスクリット語の「二十五」に由来する、人生最大の魔の跳梁期とされる。生と死の境界が緩み、前世の悪業(カルマ)が一挙に噴出し、事故、病魔、あるいは悪霊の憑依によって非業の死を遂げやすい危険な一年と恐れられているのだ。

「ナパットちゃん、今年でちょうど二十五歳になったんでしょう?」

カフェの冷房が効いた薄暗がりの中で、ダーがふとカップを置き、探るような細い眼差しを向けた。

「ええ、先週の火曜日で二十五になりました。母からも、寺に行ってタンブン(徳積み)をしてきなさいって口酸っぱく言われていて……」

「そうよね、女の子のベンジャペートは本当に怖いのよ。急な交通事故に遭ったり、原因不明の奇病で命を落としたりする子が後を絶たないんだから」

ダーは深いため息をつき、自らのブランド物の革バッグの底から、小さなベルベットの小袋を取り出した。

「これ、私の実家の近く……イサーン(タイ東北部)の有名な高僧が手ずから祈祷を施した、特別なプラクルアンなの。本来なら身内以外には譲らないものなんだけど、ナパットちゃんのことが心配で。私の代わりに、あなたを守ってもらいなさい」

差し出されたのは、親指大の細長い卵形をしたペンダントであった。

表面は完全防水の透明なアクリルケースで厳重に密封され、銀色のステンレス枠で縁取られている。内部には、素焼きの粘土で作られた小さな仏陀の坐像が収められているように見えた。だが、その土肌は寺院で一般的に配られる淡い黄土色ではなく、まるで川底の泥炭を固めたような、異様に黒ずんだ灰色を呈していた。

手に取った瞬間、ナパットの指先を、冷房の冷気とは質の異なる、微細な痺れを伴う「冷たさ」が駆け抜けた。

「……ダーさん、こんな貴重なものを、私なんかがいただいていいんですか」

「いいのよ。厄年が終わるまで、絶対に肌身離さず身につけていなさい。お風呂に入る時も、寝る時も、首から外しちゃ駄目。肌に直接触れさせておくことで、あなたの身代わりになってくれるんだから」

ダーの唇は弧を描いて笑っていた。だが、その瞳の奥には、陽光を跳ね返す黒曜石のような、一切の温度を感じさせない光が宿っていた。

その日の午後から、ナパットは贈られたステンレスの鎖を首に掛け、衣服の襟元の下、胸の谷間にそのペンダントを滑り込ませた。

皮膚に密着したアクリルの冷気は、夕方になっても彼女の体温に馴染むことはなく、むしろ氷の小石を押し当てられているかのように、鈍い圧迫感を心臓の真上に刻み込み続けていた。

第二章 非常階段の暗転と、湿った足首

異変は、ペンダントを身につけてからわずか三日目の夕暮れに幕を開けた。

月末の締め切りに追われ、残業を終えたナパットは、書類の束を抱えてフロアを歩いていた。エレベーターホールが混雑していたため、彼女は十七階のオフィスから十五階の会議室へ向かおうと、普段は誰も使わない非常階段の鉄扉を押し開けた。

非常灯の緑色の光だけが頼りない、コンクリート打ちっ放しの冷え切った空間。

ヒールの音を響かせながら、一段、二段とステップを踏み降ろした、まさにその瞬間であった。

背後で、パタリと音がした。

誰かが上の踊り場に滑り込んできた気配。

「ダーさん……?」

ナパットが振り返ろうと首を巡らせた刹那——何もない虚空から、冷水で湿りきった「巨大な手のひら」のような衝撃が、彼女の背中の中央、ちょうどペンダントが位置する背骨の裏側を、力任せに突き飛ばしたのである。

「きゃあっ!」

視界が上下逆転した。

書類が紙吹雪のように舞い散り、ナパットの肉体は十五段のコンクリートの角に激しく衝突しながら、踊り場の床へと真っ逆さまに転落していった。

右足首の骨が軋み、激痛が脳髄を貫く。床に叩きつけられた拍子に、ブラウスのボタンが弾け、首に掛けていたアクリルのペンダントが、ジャラリと音を立てて床の塵埃の上に投げ出された。

倒れ伏したナパットの耳に、階段の上から、音が降ってきた。

ペタ……ペタ……ペタ……。

素足の足音であった。

水気をたっぷりと吸い込んだ人間の皮膚が、乾いたコンクリートの床を踏みしめる湿った音。

足音は上の踊り場から、一段ずつ、ゆっくりと彼女の倒れている場所へ向かって降りてきていた。

「だ、誰か……助けて……」

ナパットが顔を上げ、階段の隙間を見上げた瞬間、息が止まった。

降りてきていたのは、人間ではなかった。

薄暗い非常灯の影の下、そこに立っていたのは、全身の皮膚が赤黒くただれ、頭蓋骨の半分が鈍器で叩き潰されたように陥没した、見知らぬ若い女の「下半身」であった。

女は衣服を身につけておらず、千切れた皮膚の端から黄色い体液を滴らせながら、膝を小刻みに震わせて立ち尽くしていた。

そして、その女の両足首には、ナパットが首から下げていたあのステンレスの鎖と同じ太さの、錆びついた鉄の鎖が、皮膚に食い込むようにして硬く巻き付けられていたのだ。

女が、さらに一段、足を下ろそうとしたその時。

「ナパットちゃん! 大丈夫!?」

非常扉が勢いよく開き、駆け込んできた同僚たちの声が階段に木霊した。

眩い蛍光灯の光が差し込んだ瞬間、その異形の女の姿は、煙のように掻き消えていた。

病院へ搬送されたナパットは、右足首の重度の靭帯損傷と、左手首の骨折と診断され、二週間の入院を余儀なくされた。

「階段を踏み外したのね、大変だったわね」

翌朝、病室へ見舞いに現れたダーは、痛ましげに眉をひそめながら、ナパットの枕元に果物の籠を置いた。

そして、ダーの視線がナパットの首元へと注がれた。

そこには、同僚が現場で拾い集めてくれた、あの灰色のペンダントが再び掛けられていた。

「……良かった。これだけは肌身離さずに持っていたのね。これが無かったら、あなた、首の骨を折って死んでいたかもしれないわよ」

ダーの細い指先が、ナパットの胸元のアクリルケースにそっと触れた。

その指先が触れた瞬間、ナパットの心臓がトクンと不快な跳躍を見せた。

ダーの顔に浮かんでいたのは、安堵ではなかった。

獲物が罠から半歩だけ逃げ延びたことを検分するような、冷酷な観察者の「舌打ち」の気配が、その整った横顔の影に確かに滲んでいたのである。

第三章 金縛りの重力と、ベッドサイドの息遣い

退院後、エカマイのコンドミニアムへ戻ったナパットを待ち受けていたのは、休養とは程遠い、精神の解体作業であった。

松葉杖をついて部屋へ戻ったその夜から、彼女の部屋は完全に「異界」の磁場へと呑み込まれていった。

部屋のエアコンを切っているにもかかわらず、室温は常に冷蔵庫の内部のように冷え込み、壁の隅からは、真夏のアスファルトに放置された魚のアラのような、饐えた腐敗臭が漂い始めた。

そして、時計の針が午前二時を指す頃になると、決まってそれは訪れた。

タイの民間伝承でいう「ピー・アム」——凄絶な金縛りである。

意識は完全に覚醒している。部屋の薄暗がりも見えている。

だが、指先一つ、瞼の筋肉一つ動かすことができない。

胸の上に、数百キログラムの濡れた砂袋を積み上げられたような圧倒的な重圧。

息が吸えない。肺胞が酸欠で悲鳴を上げ、喉の奥からヒュー、ヒューという掠れた喘鳴が漏れる。

ギシ……ギシ……。

寝室のフローリングを、あの湿った足音が這い回る。

音はベッドの周囲をゆっくりと一周し、やがて、ナパットが横たわるサイドテーブルの脇で停止した。

スゥ……ハァ……。

冷たい隙間風のような、人間の呼気が耳朶を打った。

ナパットが眼球だけを必死に動かして横を覗き込むと、ベッドの真横——わずか三十センチの空間に、あの非常階段の女が立っていた。

女はベッドの縁に両手を突き、自らの潰れた顔面を、ナパットの鼻先すれすれまで沈め込んできていた。

片方の眼球は眼窩から飛び出して頬に垂れ下がり、裂けた唇の間からは、泥と血にまみれた黄色い歯が剥き出しになっている。

女の首には、太い麻縄が食い込み、その縄の結び目は、ナパットの胸元にあるあのペンダントのアクリル枠と、目に見えぬ「黒い煙の糸」で直結していた。

『……くるしい……』

女の喉の奥から、水泡の弾けるような多重音声が漏れ出た。

『……あつい……骨を……返して……私を……ここから出して……!』

女の冷たい指先が、ナパットの喉笛へと伸びてきた。

皮膚が凍りつく。爪が気管を圧迫し、視界が急速に黒く明滅を始める。

死ぬ。このまま首を絞め落とされて殺される——。

薄れゆく意識の淵で、ナパットは枕元に置いてあった、かつて祖母から授かった古い真鍮の硬貨(プラ・リアン)を手探りで掴み、渾身の力で胸の上へと押し当てた。

「神様……仏様……どうかお助けください……!」

キィィィィィャァァァッッ!!

鼓膜を切り裂くような女の金切り声が部屋中に炸裂した。

突如として金縛りが解け、ナパットの身体は大きく跳ね上がった。

荒い息を吐きながら部屋の明かりをつけると、周囲には誰もいなかった。

だが、彼女の首筋には、生々しい人間の指の形の「紫色の鬱血」が、くっきりと四本、焼き鏝を当てられたように残されていたのである。

鏡の前に立ち、自らの首の絞め跡を見つめたナパットは、胸元のペンダントに目を落とした。

透明であったはずのアクリルケースの内部。

あの灰色の小さな仏陀の背面に、以前は存在しなかったはずの、無数の「黒い毛髪の破片」が、蜘蛛の巣のようにびっしりと浮き上がっていたのだ。

第四章 トンブリーの老僧と、砕かれた黒骨

限界であった。

翌朝、会社を欠勤したナパットは、チョンブリー県の実家から駆けつけてくれた母親の胸で子供のように号泣した。衰弱しきった娘の姿と、首筋に残された紫の扼痕を見た母親は、顔色を土気色に変え、その日の午後に娘の手を引いてタクシーへと乗り込んだ。

向かったのは、バンコクの喧騒を離れ、チャオプラヤー川を渡った西岸——かつての古都の風情を残すトンブリー地区の運河沿いに佇む、古い仏教寺院(ワット)であった。

観光客の足が一切及ばないその寺院は、タイ東北部の森林派の厳しい戒律を受け継ぐ名刹であり、現地の古老たちの間では、悪霊の憑依や邪術の呪縛を解く「最後の駆け込み寺」として知られていた。

本堂の奥、線香の香煙が立ち込める板敷きの大広間に通されたとき、ナパットを迎えたのは、痩躯に黄褐色の袈裟を纏った、御年八十を超えようかという老僧——ルアンポー(高徳の僧への尊称)・ソムチャートであった。

老僧は、ナパットが敷居を跨いだ瞬間、その手に持っていた数珠の動きをピタリと止めた。

老僧の細く鋭い眼光が、ナパットの顔ではなく、彼女のブラウスの下——胸元の膨らみへと一直線に突き刺さった。

「……娘よ」

老僧の声は、地中深くから響く鐘の音のように重厚であった。

「その首から下げているものを、今すぐ外して床に置きなさい」

ナパットは震える手で鎖を外し、アクリルのペンダントを板敷きの上へと置いた。

老僧はそれに指一本触れようとせず、傍らに控えていた若い僧に目配せをした。

若い僧が竹の棒を使ってペンダントを白布の上に転がすと、老僧は自らの懐から清めの聖水(ナーム・モン)の器を取り出し、トネリコの小枝を浸して、その雫をペンダントの上へと力強く振り撒いた。

ジュウウウウッッ!!

まるで熱した鉄板に水を落としたかのような、激しい蒸発音が本堂に響き渡った。

聖水を浴びたアクリルケースから、立ち上ったのは水蒸気ではなかった。

鼻腔を焼き切るような、耐え難い「肉の焼ける異臭」と、ドブ川の底から汲み上げたような腐敗の煙。

白布の上で、ペンダントの表面にビキビキと無数の亀裂が走り始めた。

「ルアンポー……これは、仏様ではないのですか……?」

ナパットが震え声で尋ねると、老僧は静かに首を横に振った。その眼には、深い哀憫の光が宿っていた。

「仏陀の像などではない。……これは、『ポン・ピー・タイ・ホーン(非業の死を遂げた悪霊の灰)』だ」

老僧の口から明かされた呪物の正体は、ナパットの背筋の骨を一本残らず凍結させるに十分な戦慄であった。

タイの黒魔術(サイヤサート)において、最も凶悪にして忌むべき秘術。

交通事故、殺人、あるいは自死によって、現世への凄絶な未練と怨嗟を抱いたまま命を落とした人間——「ピー・タイ・ホーン」の遺体を火葬場から密かに盗み出し、その頭蓋骨と骨盤の破片を粉砕して、死者の顎の下から蝋燭の火で炙り取った「死人油(ナーム・マン・プライ)」とともに練り固めた、呪殺のための触媒。

「この像の芯に埋め込まれているのは、寺の土でも薬草でもない。非業の死を遂げた女の骨の欠片だ」

老僧は金槌を手に取り、割れかけたアクリルケースを一撃で粉砕した。

飛び散ったプラスチックの破片の中から、剥き出しになった黒灰色の塊が転がり出た。

土の塊の中央に、米粒ほどの大きさの、黄色く変色した「人間の歯の破片」と、炭化した頭蓋骨の小片が、針金で固く縛り合わされていた。

「これをお前に渡した者は、お前を守ろうとしたのではない」

老僧は静かに言った。

「ワイ・ベンジャペートの時期は、人の霊的な境界が最も薄くなる。その無防備な胸元にこの呪物を密着させることで、骨の主である悪霊に『この娘の肉体を奪え』と合図を送っていたのだ。お前は守られていたのではない。

……悪霊を常に首からぶら下げて、自らの肉体を餌として差し出し続けていたのだよ」

ナパットの脳裏に、あのダーの完璧な笑顔が蘇った。

——私の代わりに、あなたを守ってもらいなさい。

あの言葉は、慈愛ではなかった。

ナパットを階段から突き落とし、病室で首を絞め、最後には自ら高層ビルから飛び降りさせるための、冷酷無比な「死刑執行命令」であったのだ。

第五章 クルワット・ナームの断絶と、高速道路の炎上

「ルアンポー……私は、どうすればいいのですか」

ナパットは床に突っ伏し、嗚咽を漏らした。

老僧は白布の上に転がる黒い骨の欠片を見つめ、静かに息を整えた。

「呪法を仕掛けた者を恨んではならない。怒りは新たな業の火種となる。……今なすべきは、この骨の主である哀れな魂を解放し、お前との偽りの契りを断ち切ることだけだ」

その日の夕刻、本堂において厳粛なる解呪の儀礼が執り行われた。

床には幾重もの聖なる白糸(サーイ・シン)が張り巡らされ、ナパットの手首と、砕かれた黒い骨の破片がその糸によって結び合わされた。

老僧は手にした真鍮の鐘を打ち鳴らし、パーリ語による「チンナバンチョーン(プラ・ソムデットの祈祷文)」を朗々と唱え始めた。

堂内の空気が、目に見えて歪みを帯びていく。

白糸がピンと張り詰め、まるで目に見えぬ何者かがそれを引きちぎろうと暴れているかのように、激しく震動を始めた。

ナパットの胸元から、黒い油のような汗が噴き出し、床の木目を濡らす。

唱名が最高潮に達した瞬間、老僧は手にした小刀で、ナパットと骨を繋いでいた白糸を、一刀のもとに叩き切った。

プツンッ!

糸が切れた刹那、本堂の屋根を揺るがすような突風が吹き抜け、外のジャックフルーツの巨木から無数の枯れ葉がバラバラと舞い落ちた。

そして、老僧はナパットに小さな真鍮の水差しを握らせ、庭の菩提樹の根元へと導いた。

水差しから、清らかな水を大地の土へと一滴ずつ注ぎ落とす儀礼——「クルワット・ナーム(回向の注水)」である。

「今生において奪われし我が血肉の因果を、この水とともに大地へ還す。願わくは、迷える魂よ、仏陀の慈悲に抱かれて安らぎの地へ旅立ちたまえ……」

ナパットが涙とともに祈りを捧げると、注がれた水は乾いた赤土の中へと音もなく吸い込まれていった。

その瞬間、何週間ものあいだ彼女の首を万力のように締め付けていたあの鉛のような重圧が、まるで朝露が陽光に蒸発するかのように、スッと消え去ったのである。

儀礼を終えた老僧は、ナパットの額に白粉の聖印を授けながら、静かにこう告げた。

「……因果の車輪は、決して狂うことはない。他者を呪うために放たれた黒魔術はね、相手との縁が断ち切られた瞬間、行き場を失い、放った本人の元へと三倍の質量を持って逆流するものなのだよ」

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