序章 電脳の墓碑銘と、傲慢の種子
二〇〇〇年代初頭、中国のインターネットには、現在の短い動画や推薦アルゴリズムとは異なる時間が流れていた。
巨大掲示板「天涯社区」の怪談板「蓮蓬鬼話」では、匿名の書き手が夜ごと長文を投じ、読者は数日、時には数年をかけて続きを待った。投稿は証言でもあり、小説でもあり、その境界は意図的に曖昧だった。
その空気の中から生まれ、後年「左央事件」と呼ばれるようになった一つのスレッドがある。
題名は『関于几种所謂恐怖遊戯的親身体験』。投稿者名は「左央」。
一般に二〇〇五年二月二十日開始と紹介されることが多いが、現存する鏡像には二月二十三日以降の時刻を示すものもあり、閉鎖された旧サイトの完全な原データを現在確認することは難しい。
投稿の左央は、流行していた複数の「恐怖ゲーム」を自分で試し、体験を書き残すと宣言した。初期の文章は懐疑的で、何も起きなかった実験をユーモラスに報告していた。
やがて更新は途切れ、数年後、同じ名義による重い調子の文章が現れた——。この落差が、左央事件を中国ネット怪談の代表例へ押し上げた。
しかし、左央の実名、性別、家族、職業、その後の生活は確認されていない。ネット上に流通する「死亡」「入院」「破産」「出家」「結婚」といった後日談にも、確かな根拠は見つかっていない。
以下の物語は、確認可能な旧帖の骨格を残しつつ、その空白へ架空の同行者と出来事を置いた文学的再構成である。
物語上、私は左央の学生時代の友人だった。
彼は怪談を憎んでいたのではない。むしろ、恐怖を理性の手で分解できると証明したがっていた。
「誰も検証しないなら、俺が試す。何も起きないところまで含めて書く」
そうして私たちは、画面の向こうの観客を意識しながら、夜の実験を始めた。
第一章 火と鏡の戯れ——林檎と冷えた白米
左央が最初に標的としたのは、西洋の民間伝承に端を発し、東アジアの学校怪談として変容を遂げていた「深夜の林檎削り」であった。
規則は至極単純である。
午前零時ちょうど、室内の照明をすべて消し去り、鏡の前に一本の白い蝋燭を灯す。鏡に映る自らの瞳を瞬きもせずに見つめながら、果物ナイフで林檎の皮を剥き続ける。もし途中で皮を一度も途切れさせることなく剥き終えることができたなら、鏡の奥底に自らの前世の姿、あるいは未来の伴侶の顔が浮かび上がるという。
実験の夜、私は左央の自室に立ち会っていた。
左央は母親が愛用していた重厚なチーク材の三面鏡から中央の大きな長方形の鏡を取り外し、自室の絨毯の上に直接立てかけた。遮光カーテンを隙間なく閉ざし、部屋の主電源を落とす。マッチを擦るシュッという摩擦音が静寂を切り裂き、細い白蝋燭の芯に小さなオレンジ色の炎が宿った。
室内は、蝋の燃える甘い匂いと、卓上に置かれた紅玉林檎の青臭い芳香に満たされていた。
左央は時計の長針が十二を指した瞬間、無言のままナイフを林檎の赤肌へと当てた。
サリ、サリ、サリ……。
刃先が果肉を削る微小な音だけが、部屋の隅々に反響していた。左央の額には微かに油汗が浮いていたが、その手元は驚くほど安定していた。一本の細長い皮が、螺旋を描きながら床へと伸びていく。
最後の一削りが終わり、皮が床の絨毯の上に静かに落ちた。一度も途切れることはなかった。
左央はナイフを握ったまま、鏡の中央を凝視した。
一分、二分、三分。
揺らめく炎の向こう側で、鏡の中に映っていたのは、疲労と緊張によって強張った左央自身の青白い顔だけであった。
「……何もないな」
左央は深く息を吐き出し、嘲笑するように肩を竦めた。
「ただの迷信だ。だが、念のためもう何個か剥いてみるよ」
左央はその夜、二個目、三個目、四個目と、皮を切らすことなく立て続けに六個もの林檎を剥き尽くした。床一面に散乱した林檎の皮を踏み散らしながら、私たちは深夜二時にぬるくなったコーラで乾杯し、オカルトの無力さを語り合って笑い転げた。翌朝、部屋の惨状を目にした左央の母親が「夜中に夢遊病でも起こしたのか」と目を丸くして怒り出したエピソードは、その日の午後に天涯のスレッドへユーモラスな文体で投稿された。
掲示板のレスポンスは熱狂的であった。「楼主(スレ主)は本物の科学者だ」「もっとやってくれ」「オカルト厨を叩き潰せ」と、何千もの賞賛のコメントが書き込まれた。この大衆の拍手喝采こそが、左央のブレーキを完全に破壊する猛毒であったのだ。
第二の実験は、それから数日後に行われた。
中国伝統の民間習俗において、最も忌み嫌われる降霊の儀礼——「十字路の至陰米飯」である。
道教や民俗信仰において、夜の十字路(十字街頭)は、現世と冥府の気流が交錯し、行き場を失った「孤魂野鬼(浮遊霊)」が吹き溜まる最も不吉な結界とされる。
儀礼の手順は陰惨を極める。深夜十二時、人通りの途絶えた十字路の角に、炊き立ての白米を山盛りにした茶碗を置き、その中央に三本の線香を突き刺す。線香が完全に燃え尽きるのを待ち、その煙と陰気を存分に吸い尽くした冷え切った米飯を、生身の人間が一粒残らず完食するのだ。
これによって、死者の霊気と生者の胃腸が直接結びつき、冥府の扉が開かれると信じられていた。
その夜、左央が選んだのは、街外れの古い工場地帯へと続く、街灯の壊れた陰鬱な十字路であった。
冬の終わりの寒風が吹きすさぶ中、アスファルトの割れ目に茶碗が置かれた。赤黒く灯る三本の線香の先端から、細い煙が夜空に向かって不自然なほど真っ直ぐに立ち上っていた。風がこれほど強く吹き抜けているにもかかわらず、その煙はまるで何かに引っ張られるように、微動だにせず垂直の線を保っていたのだ。
線香が灰となり、白い米の表面に落ちた。
左央は地面にしゃがみ込み、素手でその冷たく固くなった米を掴み、口へと運び始めた。
傍らで見守っていた私は、胸の奥底から込み上げる激しい吐き気を覚えた。米には風に乗って舞った砂利と、灰色に変色した線香の灰がびっしりとこびりついていた。左央の喉がゴクリと鳴り、苦痛に顔を歪めながら、乾いた澱粉の塊を胃袋へと押し込んでいく。
「……まずい。砂を食っているようだ」
全部を平らげた左央は、唾を吐き捨てて立ち上がった。
周囲を見渡しても、風に舞う塵芥のほかには人影一つない。私たちは肩をすり合わせ、何事もなかったことに安堵しながら帰路についた。
しかし、真の異変は、その帰り道において密かに牙を剥いていた。
その十字路から左央の自宅マンションまでは、徒歩で直線にしてわずか十分足らずの距離であった。幼少期から何千回となく通り慣れた、碁盤の目のような路地である。
だが、歩き始めて十五分が過ぎても、私たちは大通りに出ることができなかった。
角を曲がれば見慣れた雑貨屋があるはずの場所に、見たこともない灰色のブロック塀が延々と続いている。次の角を右へ折れると、先ほど通り過ぎたはずの古びた公衆電話ボックスが、再び前方に佇んでいるのだ。
「おい……ここ、さっき通らなかったか?」
私が震える声で尋ねると、左央は立ち止まり、硬直した。
時計の針は深夜一時を回っていた。周囲の家々の窓はことごとく暗黒に沈み、遠くを走る車の走行音すら、まるで分厚い鉛の壁を隔てたかのように完全に遮断されていた。空気の密度が異常に重く、足を踏み出すたびに、靴底が粘つくタールに囚われているかのような錯覚を覚える。
中国の民俗においていう「鬼打牆(きだしょう=悪霊が旅人の目を眩ませて同じ場所を旋回させる現象)」であった。
結局、私たちが夜の住宅街を彷徨い歩き、ようやく自宅のマンションのエントランスの明かりに辿り着いたとき、時計の針は午前二時近くを指していた。わずか数百メートルの道程に、一時間以上もの時間を要したのである。
だが、翌朝の掲示板への書き込みにおいて、左央はこの戦慄の迷走を、極めて冷淡な科学的筆致で片付けてみせた。
「歩行中に極度の緊張と寒冷に晒された結果、脳の海馬が一時的な軽度の解離状態(パニック性見当識障害)に陥ったものと考えられる。心因性の空間錯覚であり、超自然的な現象とは無関係である」
この時の左央は、自らの知性によって恐怖を飼いならすことができると信じ切っていた。しかし、その強固な理性の防壁には、すでに目に見えぬ微細な亀裂が走り始めていたのである。
第二章 浴室の血煙と、未踏の四隅
三番目の実験として選ばれたのは、欧米の降霊術の代名詞である「ブラッディ・マリー(Bloody Mary)」であった。
密閉された真っ暗な浴室に一人で閉じこもり、鏡の前で火を灯した蝋燭を掲げ、精神を極限まで集中させて「ブラッディ・マリー」の名を三度唱える。鏡の奥から血に飢えた女の悪霊が現れ、召喚者の顔面を爪で引き裂く、あるいは鏡の中の異界へと引きずり込むとされる悪名高き儀式である。
左央はこの実験を、完全に一人きりで敢行した。
バスタブに張られた冷水の表面から立ち上る湿気、狭隘なタイルの空間に充満する蝋の油煙。四方の扉には目張りが施され、光の一筋すら侵入を許さない完全な暗黒の棺桶の中で、左央はその呪文を唱えた。
翌日の掲示板の更新は、これまで以上に嘲弄に満ちたものであった。
「結論から言おう。血まみれの魔女など影も形も現れなかった。現れたのは、急激な室温上昇によって冷たい鏡面にびっしりと結露した、白く濁った水蒸気だけである。悪霊を呼ぶ暇があるなら、換気扇の掃除でもしたほうが余程有意義だ」
スレッドの盛り上がりは最高潮に達した。オカルトの迷信を次々と白日のもとに晒し、論理の刃で切り裂いていく若き楼主の姿は、多くのネットユーザーにとって一種のアンチヒーローのように映っていた。
だが、読者たちの熱狂的な賛辞に煽られるようにして、左央は自ら最も危険な、後戻りのできない禁忌の領域へと踏み込んでいった。
それこそが、日本から台湾を経由して大陸へと渡ってきた、集団降霊ゲームの極致——「四角ゲーム(四角遊戯)」であった。
このゲームのルールは、参加者の心理的防衛線を極限まで破壊するように構築されている。
まず、四角形の完全に密閉された、家具の一切ない空き部屋を用意する。四人の参加者が部屋の四つの隅(コーナー)に、壁に向かって直立する。
照明を完全に落とし、絶対の暗黒の中でゲームが開始される。
一番目の角にいる人間が壁沿いに歩き出し、二番目の角にいる人間の肩を叩く。叩かれた二番目は即座に三番目に向かって歩き、その肩を叩く。三番目は四番目の肩を叩く。
そして、四番目の角にいた人間は、元いた一番目の角——すなわち「すでに空っぽになっているはずの角」に向かって歩かねばならない。
当然、そこには誰もいない。ゆえに四番目の人間は、その空の角を通過する際、必ず「ゴホン」と一度だけ咳払いをしなければならない。そしてそのまま壁伝いに歩き続け、二番目の角に留まっている最初の一番目の人間の肩を叩きに行く。
この循環を繰り返す限り、空の角は常に一つ存在し、周回ごとに必ず誰かの一度の「咳払い」が暗闇に響くはずである。
しかし——もし、何周目かの巡回において、誰も咳払いをすることなく、四つの角すべてに人間が立ち並び、肩を叩き続けるサイクルが成立してしまったとしたら。
それは、本来四人しかいないはずの密室の中に、闇の裂け目から「五人目の何か」が滑り込み、空いた角を埋めて立っていることを意味するのだ。
最初の四角ゲームの実験は、三月の初頭に行われた。
左央が集めたのは、学生時代からの悪友である李老六(リー・ラオリウ)、小風(シャオフー)、そして牛子(ニウヅ)の三人であった。
場所は、老六の実家が投機用に購入したまま放置されていた、郊外の新築マンションの最上階——内装すら施されていない、剥き出しのコンクリートが冷え冷えと口を開ける「毛坯房(スケルトン物件)」であった。
酒をあおり、冗談を言い合いながら、男四人は暗黒の部屋の四隅に散った。
電球のコードが引き抜かれ、完全な闇が降臨した。
スニーカーが冷たいコンクリートの粉塵を踏みしめる、ザッ、ザッ、という擦過音。
肩を叩く乾いた手のひらの音。
一周、二周、三周。
最初は滑稽な悪戯として始まった歩行であったが、視覚を完全に奪われた極限状態の中、他人の足音の反響だけを頼りに壁を這う行為は、想像を絶する恐怖となって四人の精神を締め上げ始めた。
暗闇の深度が、周回を重ねるごとに増していく。壁の冷たさが指先から骨へと染み込み、呼吸の音すら他人のもののように聞こえ始める。
二十数分が経過した頃、突如として三番目の角へ向かっていた小風が、悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
老六が慌てて懐中電灯を点灯させた。
青白い光が部屋を照らし出した瞬間、全員が息を呑んだ。
部屋の中に、三人しかいなかったのである。
牛子の姿が、忽然と消え失せていた。
「牛子! おい、どこへ行った!」
半狂乱になった私たちが暗い室内を探し回ろうとしたその時、廊下の鉄扉がギギギと開き、牛子が腹を押さえながら呑気に顔を覗かせたのだ。
「悪りい悪りい……さっきの白酒が急に腹にキてさ、我慢できなくなって外の共用トイレに駆け込んでたんだよ」
最初の実験は、この締まりのない茶番劇によって幕を閉じた。
左央は激怒した。恐怖の臨界点に達しかけていた実験が、友人の便意という俗悪なアクシデントによって腰砕けに終わったことに、耐え難い屈辱を覚えたのだ。
「次は絶対に中断させない。本物のメンバーを揃えて、もう一度やり直す」
左央のその異様な執念の眼差しを見たとき、私は止めるべきであったのだ。
あのコンクリートの密室の暗がりで、何かがすでに、私たちの足音の数を数え始めていたのだということに、気づくべきであったのだ。
第三章 漆黒の毛坯房——触れてはならぬ肩
一週間後の週末。第二次四角ゲームが決行された。
あの不真面目な牛子はメンバーから外され、代わりに左央の知人である、勝気で肝の据わった一人の女子大生——仮名を「郭子(グオヅ)」とする女性が招集された。
メンバーは、左央、老六、小風、そして郭子の四人。
現場は再び、あの郊外の未完成マンションの最上階であった。
その夜は、重い雪混じりの冷雨が窓枠のない開口部から吹き込み、剥き出しのコンクリートの床を黒々と濡らしていた。
開始前、左央は全員の前に立ち、氷のように冷徹な声で厳格なルールを叩き込んだ。
「何があっても途中で抜けるな。足がもつれようと、耳元で声が聞こえようと、決められた手順通りに歩き続けろ。空の角に来たら、絶対に咳をしろ。いいな、絶対にだ」
午後十一時五十分。部屋の仮設ドアが内側から固く施錠された。
ブレーカーが落とされ、漆黒の帳が下りた。
部屋の寸法は、縦およそ八メートル、横六メートル。
北東の角に左央、南東の角に老六、南西の角に小風、北西の角に郭子が位置取った。
「……始めろ」
左央の乾いた合図とともに、最初の歩行が始まった。
ザッ……ザッ……ザッ……。
左央が壁に左手を滑らせながら前進し、老六の右肩を叩く。
パシッ。
老六が動き出し、南西の小風の肩を叩く。
パシッ。
小風が北西の郭子の肩を叩く。
パシッ。
そして郭子が、左央が先ほどまで立っていた北東の「空の角」へと向かって歩き出す。
暗闇の静寂の中に、郭子の澄んだ、しかし緊張で上ずった咳払いが響いた。
「コホン」
郭子はそのまま立ち止まることなく、東の壁を南下し、老六のいた南東の角——今や左央が留まっている場所へと向かい、その肩を叩いた。
一周目が完了した。
規則的な足音、乾いた皮膚と衣服の擦れ合う音、そして角を曲がるたびの微かな衣擦れ。
二周、三周、四周。
暗闇の濃度が、次第に変質し始めていた。
初めのうち聞こえていた外の冷雨の音、遠くの幹線道路を走るトラックの排気音が、まるで水底へと沈んでいくように急速に遠ざかり、部屋の中には四人の荒い呼吸音と、床の砂利を踏むステップの音だけが、異様な解像度で増幅されて響き渡る。
五周目。
部屋の温度が、明らかに数度低下した。吐き出す息が白く濁り、壁のコンクリートからは、まるで冷凍庫の奥底から染み出してくるような、凍てつく冷気が指先を痺れさせ始めた。
だが、サイクルは狂わない。
パシッ……パシッ……パシッ……「コホン」。
咳払いの音は、規則正しく暗闇の空間を巡り続けていた。
八分が経過した。
左央の歩調が、わずかに早くなっていた。彼の神経は研ぎ澄まされ、自らが証明しようとしている「虚無」の勝利を確信しかけていた。何も起きない。五人目の悪霊など、どこにも現れはしないのだと。
しかし——運命の十二分目が訪れた。
南西の角から北西の角へ向かい、郭子の肩を叩いた小風の足音が止まった。
郭子が、北東の角——「空の角」へ向けて歩き出した。
ザッ……ザッ……ザッ……。
冷たい砂利を踏むスニーカーの音。壁を擦るナイロンジャケットの衣擦れ。
彼女の足音は、正確に北東の角の窪みへと到達した。
そこで、響くはずであった。
誰もいない角を通過したことを示す、彼女の「咳払い」の音が。
だが——静寂。
何の音も響かなかった。
咳払いはなく、足音もピタリと停止した。
部屋の空気が、真空ポンプで吸い出されたかのように一瞬にして張り詰めた。
「……郭子?」
南東の角で待機していた左央が、思わず闇に向かって声を漏らした。
その刹那であった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」
人間の声帯が引き裂かれたかのような、この世のものとは思えぬ、純粋な狂気と絶望に満ちた絶叫が、北東の角から炸裂した。
鼓膜が破れるかと思うほどの音圧。
続いて、バタバタと床を激しく叩きつける狂乱の足音とともに、暗闇の中から飛び出してきた何者かが、南東の角に立っていた左央の身体へと、猛烈な勢いで激突したのである。
「うわあっ!」
左央は床へと吹き飛ばされた。
のしかかってきたその肉体——郭子は、獣のような唸り声を上げながら、左央の防寒着の襟元を両手で引き裂かんばかりに掴み、その爪を左央の首筋へと深々と突き立てていた。
「郭子! おい、どうした! 落ち着け!」
左央が叫ぶが、彼女の耳には届かない。郭子は白目を剥き、歯の根をガチガチと激しく打ち鳴らしながら、自らの頭部を左央の胸板に何度も叩きつけ、喉の奥から泡を吹き零しながら、絶叫を繰り返した。
「逃げてえええッ! 出してッ! 誰か電気をつけてえええええッッ!!」
老六が震える手で懐中電灯を点灯させた。
光の輪の中に浮かび上がった光景は、地獄そのものであった。
郭子の顔面は、酸素を失った死人のように土気色に変色し、両目の瞳孔は極限まで散大していた。彼女の指先は左央の肉を抉り、自らの唇を噛み切って流れた鮮血が顎を伝って滴り落ちていた。
男三人がかりで彼女を羽交い締めにしようとしたが、華奢な女子大生であるはずの彼女の肉体は、まるで大型の猛獣のように暴れ狂い、男たちを力任せに跳ね飛ばした。
私たちはパニックの中、未完成の階段を転がり落ちるようにして彼女を担ぎ出し、夜の雨が降りしきる道路へと飛び出した。
泥水の中に崩れ落ちた郭子は、もはや言葉を失い、ただ胎児のように丸まって激しく痙攣を繰り返すばかりであった。
救急外来では、医療者たちが彼女と周囲の安全を確保し、必要な診察と処置を行った。具体的な投薬内容を私たちは知らされなかった。待合室へ移されたあとも、耳の奥には彼女の叫びがこびりついていた。
翌日の午後、病室で意識を取り戻した郭子は、点滴の針が刺さった手を震わせながら、枕元に詰めていた私たちに向かって、あの瞬間に起きた出来事を、途切れ途切れに涙ながらに告白した。
あの日、十二分目。
彼女は手順通り、空っぽのはずの北東の角へ向かって歩き出したという。
指先が壁の角に触れ、いつものように咳払いをしようと口を開きかけた、まさにその瞬間——。
彼女が前方に伸ばしていた右手のひらが、冷たいコンクリートの壁ではなく、「何者かの、湿り気を帯びた分厚い右肩」に、まともに触れたのだ。
それは衣服を着ていなかった。
氷水に何日も漬け込まれていたかのような、硬直した冷たい皮膚の弾力。
そして、彼女の指先が触れたその肉体は、確かに規則正しく、ヒュー……ヒュー……と、凍てつくような「呼吸」を繰り返していたという。
暗闇の部屋の四番目の角に、最初から立っていたのだ。
五人目の何者かが、壁に向かって直立し、彼女が肩を叩きにやって来るのを、静かに待ち構えていたのである。
第四章 空白の三年八か月——書かれなかった代償
四角ゲームのあと、左央は次の実験を予告した。だが更新の間隔は次第に延び、やがてスレッドから姿を消した。
読者は「続きはまだか」と書き込み、別の者は、これ以上試すなと忠告した。何も知らない観客の期待が、投稿者を次の危険へ押し出す。その構造こそ、ネット怪談の最も現代的な恐怖だった。
現存する転載では、二〇〇五年三月に無事を告げる短い書き込みや、六月末の応答も確認できる。したがって「実験直後に完全失踪した」という有名な要約は正確ではない。
それでも、長い空白が残った。
そのあいだ何が起きたのかを、原帖は詳しく語らない。
ここから先は、後世の再話が空白へ付け足した物語である。
ある版では、左央は深刻な不眠と睡眠麻痺に悩み、午前二時になると暗闇から複数の話し声を聞いたという。
別の版では、家族の事業が傾き、住居も財産も失ったとされる。
さらに別の版では、道路上で視界と音が消え、走行車両の前へ踏み出しかけたところを通行人に救われたと語られる。
中国の怪談語彙なら、最後の現象は「鬼遮眼」——何かが目を覆い、危険を見えなくする怪異——と呼ばれるだろう。
しかし、睡眠麻痺、幻聴、解離、極端な不安、睡眠不足などでも、現実感や知覚が大きく揺らぐことはある。症状が続く場合に必要なのは、恐怖ゲームの再検証でも護符の服用でもなく、医療機関への相談と安全の確保である。
護符の灰や正体不明の粉を飲む行為は、中毒や消化器障害の危険がある。怪談の中の行為を治療として真似てはならない。
「何があったのか書かれていない」という事実は、読者にとって空白ではなく、物語を書き込むための真白な壁になった。
会社が倒産した。
家族が病んだ。
本人が精神病院へ入った。
死んだ。
生きて平穏な家庭を築いた。
互いに矛盾する結末が、どれも「知人から聞いた真相」として流通した。
だが、証拠がない以上、それらはすべて左央本人の人生ではなく、左央というハンドルネームへ付着した二次創作として扱うべきである。
それでも私は、物語上の友人として、あの暗室の十二分目だけを忘れられない。
郭子の手が触れた冷たい肩。
照明が点いたときには誰もいなかった角。
その場面もまた創作である。だが一度読んだ者の記憶では、原帖に最初から書かれていた事実のように形を変えてしまう。
第五章 二〇〇八年の帰還——同じIDが残した言葉
あの日から、実に三年八ヶ月の歳月が流れていた。
二〇〇八年十月二十五日とされる日付で、長く止まっていたスレッドに「左央」名義の文章が現れた。
文章は、最初の投稿から三年八か月以上が過ぎたこと、アカウントへ近づくこと自体が怖かったこと、自分と家族が大きな代償を払ったことを述べていた。
ただし、現在参照できるのは転載や鏡像が中心である。投稿時刻、表示順、削除や編集の有無、アカウントを操作した人物まで、完全に検証できる状態ではない。
そのため「本人が帰還した」と断定する読みと、「後から作られた文章ではないか」という疑いが、今も並存している。
それでも最後の警告だけは、原帖を離れて広く流通した。
神明や魂霊を信じない自由はある。だが、それを試すために自分や他人を危険へ晒し、嘲る必要はない——おおよそ、そのような意味の言葉である。
短い警告は、いつしか中国ネット怪談の格言になった。
ID「左央」がその後誰によって使われ、投稿者がどのように暮らしたかは分からない。
事件が閉じたのではない。
検証できる記録が、そこで途切れたのである。
終章 後秀才の影と、デジタルの余白
さらに年月が流れた二〇一七年末、「後秀才」と名乗る人物による左央事件の総括が現れた、とする情報が広まった。
文体が似ているから左央本人だという者もいれば、古い怪談へ新しい結末を与えた別人だという者もいた。本人性を確かめる独立した証拠はない。
天涯社区が通常の方法では閲覧できなくなったあと、左央事件はスクリーンショット、転載ブログ、動画、朗読、まとめ記事へ分裂した。
そのたびに日付が変わり、試したゲームの数が増え、友人の名前が加わり、家族の破産や病気が細部まで語られるようになった。
原帖を保存しようとする行為と、もっと怖い物語へ育てようとする欲望は、同じコピーの中で絡み合った。
だから左央事件を読むとき、私たちは三つの層を分けなければならない。
第一は、現存する鏡像や引用から辿れる投稿。
第二は、投稿後に匿名の読者たちが加えた噂。
第三は、本稿を含む文学的な再構成である。
この区別を失えば、私たちは実在するかもしれない一人の匿名者へ、死亡、病気、家族崩壊という勝手な人生を背負わせることになる。
だが、区別したからといって、怪談の力が消えるわけではない。
夜更け、古い掲示板の白い背景に黒い文字が並ぶ画面を見ていると、文章の隙間には今も大きな空白が開いている。
左央は何を見たのか。
二〇〇八年の書き込みは誰が書いたのか。
三年八か月のあいだ、本当に何があったのか。
答えはない。
そして答えがないからこそ、次の語り手はそこへ自分の恐怖を置く。
鏡の奥の顔。
十字路から帰れない夜。
暗室の空いているはずの角。
これらのゲームに超自然的な力があると示す証拠はない。だが、火、刃物、不衛生な食物、暗闇、閉鎖空間、集団暗示が現実の事故を起こし得ることは、霊の有無とは関係がない。
「信じないこと」と「危険を軽視すること」は同じではない。
左央事件が二十年以上を経ても残したものは、冥府の実在を証明する写真ではなく、観客に見られながら恐怖を実演する人間の心理と、空白を事実へ変えてしまうネットの記憶だったのかもしれない。
私はブラウザを閉じる。
画面が黒くなり、そこへ自分の顔が映る。
その背後、部屋の四つの角のうち一つだけが、ほかよりわずかに暗く見えた。
もちろん、振り返って確かめる必要はない。
記録は、そこで終わっている。

まだコメントはありません。最初の読者として、この異聞の余韻を残してください。