序章 台座の上の「叔父」
その像は、暗い横坑の窪みに、両足を投げ出すようにして座っていた。
赤いガラス玉の眼が、カーバイドランプの炎を受けて、濡れたように光る。粘土と石膏で盛られた顔には二本の角が突き出し、額から頬にかけて、誰かが塗り重ねた金と銀の塗料が斑に剥げていた。口はいつも半開きで、そこには火のついていない紙巻き煙草が一本、行儀よく挟まれている。
首から下げられた色とりどりの紙テープ(ミストゥーラ)が、坑内を渡る風もないのに、時折かすかに揺れた。台座の周りには、空になった強アルコールの小瓶と、噛みかけのコカの葉が積もり、酸っぱい酒精の匂いが石の匂いに混じっていた。
現地の鉱夫たちは、この像を「エル・ティオ」——スペイン語で「叔父」——と呼ぶ。
地上には彼らの神がいる。だが地下には、地下だけの主がいる。鉱夫たちはそう説明した。
私がこの像に初めて対面したのは、二〇二一年の冬、南半球では夏にあたる乾季の終わり、標高四千メートルを超えるボリビア南部の街ポトシ、その背後にそびえるセロ・リコ——「豊かな山」を意味する円錐形の赤茶けた山の第七横坑でのことだった。
案内してくれたのは、山の中腹に事務所を構える零細採掘協同組合に籍を置く、当時二十六歳の技師だった。本稿では彼を、マテオと呼ぶ。
ポトシの街そのものが、標高およそ四千九十メートルに位置する。世界でもっとも標高の高い都市の一つに数えられ、夜になると乾いた空気が容赦なく体温を奪う。十六世紀から十七世紀にかけて、この山からは当時の世界の銀のおよそ八割が産出されたと伝えられ、街には今も、その富で築かれた植民地様式の教会と邸宅が、色褪せた姿で建ち並んでいる。
旧市街は一九八七年、ユネスコの世界遺産に登録された。
「人を喰らう山(La Montaña que come hombres)」——地元の人々は、セロ・リコをそう呼ぶこともある。豊かさと、その豊かさが要求してきた犠牲を、同じ一つの山に見ているからだった。
第一章 技師の帰郷と、絶たれた火曜日
マテオの一族は、四代にわたってセロ・リコで働いてきた。曾祖父はスズを、祖父は錫と亜鉛を、父は鉛と亜鉛を、そして彼の叔父ロランドは、いまなお採れる銀と亜鉛の複合鉱を掘っていた。
マテオ自身は違う道を歩むはずだった。スクレの国立大学で鉱山工学を修め、卒業後はサンタクルスの鉱業コンサルタント会社に職を得ていた。オフィスには冷房があり、坑道に潜る必要もなかった。
彼を山へ呼び戻したのは、叔父ロランドの死だった。
落盤ではなかった。長年吸い込んだ粉塵が肺を蝕む珪肺症——鉱夫たちが「山の病」と呼ぶ職業病だった。享年四十七。この山で働く男の、平均的な寿命だった。
マテオにとってロランドは、父に近い存在だった。幼い頃、休暇で山へ戻るたび、叔父は彼を坑口まで連れて行き、街の子どもたちが決して見ることのない暗闇の入口を見せてくれた。『中には入るな。
だが、怖がる必要もない。ここは俺たちの畑のようなものだ』——ロランドはいつもそう言っていた。マテオが工学を志したのも、遠くから、その畑の仕組みを理解したいという思いがどこかにあったからだった。
葬儀の晩、マテオは母から、ロランドの持ち分と、坑道の権利を継いでほしいと頼まれた。協同組合は個人の出資と労働によって成り立っており、後継者がいなければ、一家が半世紀かけて掘り進めた坑道は、他の組合員に明け渡されることになる。
彼は迷った末に承諾した。安定した街の仕事を辞め、標高四千メートルの故郷へ戻ることを選んだのは、経済的な事情半分、そして、自分の手で叔父の坑道を確かめたいという、うまく説明のつかない衝動が半分だった。
戻った初日、年配の組合員たちは彼を、坑口のすぐ内側にあるエル・ティオの像へ案内した。像は複数あり、坑道の区画ごとに、鉱夫たち自身の手で粘土をこね、石膏で固め、思い思いの顔を与えられている。
「毎週火曜と金曜の朝、まずこの方に挨拶をする。それから仕事だ」
組合の古参、六十過ぎのドン・エステバンがそう教えた。彼の指には、若い頃の落盤事故で欠けた指が二本あった。
マテオは大学で学んだ地質工学の知識を思い出していた。断層、鉱脈の走向、支保工の強度計算——そこに「叔父」という言葉の入る余地はなかった。
それでも初めの数週間は、彼も周囲に倣って像へアルコールを注ぎ、コカの葉を供えた。合理的な判断というより、郷に入れば郷に従えという、単純な処世術だった。
変化が訪れたのは、赴任から一月半が過ぎた、ある火曜日の朝だった。
前夜、マテオは組合の会計処理で遅くまで働き、寝坊した。坑口に着いたときには、他の班はすでに奥へ入っており、像の前で祈りを捧げる時間はなかった。彼は像の脇を素通りし、そのまま自分の担当区画——叔父ロランドが最後に掘り進めていた、新しい鉱脈の先端へ向かった。
特に何も起きなかった。その日は。
だが翌週の火曜も、マテオは同じことを繰り返した。今度は寝坊のためではなかった。単に、意味のない儀式に時間を割くのが惜しくなっていた。
「大学で工学を学んだ人間が、粘土の人形に酒をやる必要がどこにある」
彼はドン・エステバンにそう言い、老人は何も言い返さず、ただ長い間、彼の顔を見つめていた。
第二章 誰も掘らなかった三十メートル
叔父ロランドが最後に掘り進めていた坑道は、既存の主要坑から西へ枝分かれした、比較的新しい支坑だった。地質図によれば、その先には未採掘の鉱脈が続いているはずだった。
ロランドが病に倒れる前、その坑道は行き止まりのまま三十メートルほど手つかずで残されていた。組合の記録には、ロランドがその区画のエル・ティオ像に、通常より多くの酒を注いでいたという記述——正確には、他の組合員の口伝えだが——が残っている。
マテオはその「意味のない習慣」を継がなかった。彼は測量データを頼りに、最短距離で鉱脈へ達するルートを計算し、発破の位置を決めた。区画の像には、赴任初日に一度、形だけの酒を注いだきりだった。
発破の翌日、坑道は計画通りに三メートル進んだ。だが同僚の一人、アブディアスという若い鉱夫が、坑道の奥から出てきたとき、顔を青くしていた。
「あそこの温度がおかしい。奥へ入ると、急に冷たくなる場所がある」
マテオは温度計を持って確認しに行った。数値上、異常はなかった。標高四千メートルの坑内は、もともと一年を通して肌寒い。彼はアブディアスの訴えを、疲労による錯覚と結論づけた。
だが同じ週のうちに、似た報告が二件続いた。誰もいないはずの奥から、含み笑いのような音が聞こえたという者。カーバイドランプの炎が、風もないのに一瞬だけ青く変わったという者。
マテオは苛立った。合理的な理由がある——換気の悪さによる酸欠に近い状態、地下水脈の音の反響、疲れた目と耳が作り出す錯覚。彼はそのすべてに、もっともらしい説明を与えることができた。
だが、その説明を口にするたび、古参の組合員たちの表情は、より硬くなっていった。
彼らが恐れていたのは、幻聴でも幻視でもなかった。マテオが火曜と金曜の献供を怠っているという、その一点だった。
第三章 沈む山と、空になった酒瓶
セロ・リコは、五百年近くにわたって掘り続けられた山である。序章で触れた「人を喰らう山」という異名は、決して比喩だけで済むものではなかった。
スペインが植民地支配の初期に導入した強制労働制度ミタのもとで、先住民の男たちが村から村へ、鉱山労働のために連行された。過酷な労働に加え、銀の精錬過程で用いられた水銀による中毒、粉塵による珪肺症、落盤や有毒ガスによる事故が、幾世代にもわたって彼らの命を奪い続けた。後の時代には、アフリカから連れてこられた人々も同じ坑道へ送り込まれている。
研究者の推計には幅があるが、この山と精錬の過程で失われた命は、四百万人から八百万人にのぼるとされることもある。
「豊かな山(セロ・リコ)」という名と、「人を喰らう山」という異名が、一つの山の中で矛盾なく共存してきたのは、そのためだった。
二〇二一年当時、山の内部には推計で数百から千を超える坑道が、迷路のように張り巡らされていた。植民地時代の古い坑道の多くは、正確な地図が残っていない。組合員たちは、自分が普段通る区画の先に、いつ誰が掘ったとも知れない空洞が広がっていることを、当然のこととして受け止めていた。
そして、この山は今も沈み続けていた。
二〇一一年、長年の無秩序な採掘によって、円錐形だった山頂の一角が崩落した。政府は軽量セメントを流し込んで応急の補強を行ったが、陥没はその後も年に数センチずつ進行していると報告されている。ユネスコは二〇一四年、ポトシの街とセロ・リコを、危機にさらされた世界遺産のリストへ加えた。
組合員たちは、この事実を科学的に理解していた。同時に、別の言葉でも語っていた。
「山が痩せている。中の主が、機嫌を損ねている証拠だ」
マテオが献供を怠り始めてから三週目、彼の担当区画で、支保工に使っていた木材が理由なく折れる事故が起きた。幸い怪我人は出なかったが、折れ方が異様だった。均等に力がかかったのではなく、あたかも何かに真ん中を掴まれ、外側へねじられたような裂け方をしていた。
同じ週、区画のエル・ティオ像の前に置いていたはずの空き瓶が、誰も触れていないのに、坑道の奥へ数メートル移動していた。
組合の若手の中には、マテオの区画で働くことを拒む者が出始めた。彼らは表立って「呪い」とは言わなかった。ただ、「あそこは空気が悪い」「あそこは音が変だ」と言い、配置換えを願い出た。
マテオは孤立していった。彼は依然として、すべてに合理的な説明を与えようとした。木材の裂け方は乾燥による内部応力、瓶の移動は微小な地盤の傾き、若手の忌避は単なる迷信の伝播。
だが夜、宿舎のベッドで目を閉じるたび、彼は自分の担当区画の暗闇を思い出した。赤いガラス玉の眼が、誰もいないはずの場所で、じっとこちらを見ている感覚を。
第四章 迷った先の、火のない煙草
事故から十日後の午後、マテオは一人で区画の最奥部を点検していた。前日の発破で崩れた岩の量を確認し、次の作業計画を立てるためだった。
彼は懐中電灯を頼りに、新しく開いた分岐へ足を踏み入れた。地質図にない亀裂だった。おそらく植民地期の古い坑道と、偶然つながってしまったのだろう——彼はそう判断し、興味半分で数十メートル進んだ。
気づいたときには、来た道がわからなくなっていた。
懐中電灯の光が届く範囲には、削岩機の跡もない、素掘りのままの壁が続いていた。空気は淀み、遠くで水滴が石を打つ音だけが規則正しく響いていた。彼は自分の足跡を頼りに戻ろうとしたが、湿った砂地に残るはずの跡が、なぜか途中で途切れていた。
携帯無線機は、地表からの深さのせいか、応答しなかった。
「落ち着け。坑道は必ず地表とつながっている。どこかで主坑に合流する」
彼は自分に言い聞かせながら、来た方向とは逆へ進んだ。だが十分も歩かないうちに、また同じ分岐点に戻ってきた気がした。壁に刻んだつもりの目印が、記憶にあるものと微妙に違う位置にあった。
彼はもう一度、別の枝道を選んだ。今度は下り坂だった。地質図の記憶では、この区画に下り坂は存在しない。
だが引き返す気力より、進む惰性の方が勝った。空気が徐々に湿り気を帯び、遠くで、水滴の音とは違う、何かが呼吸するような低い音が聞こえ始めた。
腕時計を見ると、坑口を出てから、すでに一時間半近くが経過していた。点検作業自体は、二十分もかからないはずだった。
懐中電灯の電池残量を示すランプが、初めて赤く点滅した。
マテオの喉から、乾いた笑いが漏れた。合理的な説明を、彼はまだいくつも持っていた。疲労による空間認知の混乱。
酸素濃度のわずかな低下による判断力の鈍化。だが、その説明のどれもが、今の彼をこの場所から一歩も動かしてはくれなかった。
そのとき、前方の暗闇の奥に、小さな赤い光が二つ、灯った。
最初は、誰かのカーバイドランプの反射だと思った。彼は声を上げた。誰か、そこにいるのか、と。
返事はなかった。だが赤い光は消えず、こちらへ近づいてくる様子もなく、ただ闇の中に浮かんだまま、じっと動かなかった。
マテオは懐中電灯をその方向へ向けた。光の輪の中に浮かび上がったのは、彼の区画に置かれているはずの、あの粘土の像だった。
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