序章 髪を引くな
「髪を引くな。首が外れる」
雨具を着た男が、金鈎を握る若い巡査にそう言った。
夜明け前の濁った水面に、黒い髪だけが浮いていた。水草のように流れへ沿ってほどけ、時折、流れとは反対の方向へゆっくり揺れた。
そこは川ではなかった。
七日前、生石灰と黄土を何台分も注ぎ込み、厚いセメントで蓋をしたはずの窪地だった。
巡査が鈎を引く。髪は水底へ沈み、少し離れたところに再び浮いた。その下で、赤いものが一度だけ翻った。
誰かが息を呑んだ。
その場にいた全員が、赤いものの正体を見る前に、石碑がなくなっていることへ気づいていた。
魚池の前に据えたばかりの泰山石敢当が、台座から消えていたのである。
第一章 鉄道のない入蔵路
この話を私が聞いたのは、青蔵鉄道の格爾木・拉薩間がまだ開通していなかった頃である。
西寧から列車で格爾木へ出て、そこで幌を張った乗合車に乗り換えた。車は昆崙山口を越え、西大灘、五道梁、沱沱河、唐古拉山口へ向かう。舗装路はあったが、道路というより、風と凍土の間に一本だけ許された細い約束のように見えた。
窓の外には、こちらを警戒する野驢馬の群れがいた。遠くには野牦牛が黒い岩のように立ち、運がよければ藏羚羊の白い尻が斜面を流れていった。
標高が四千メートルを越えると、乗客たちは急に無口になった。
若い者でさえ頭痛と吐き気に襲われ、唇を紫色にして酸素袋へ口を当てた。まして、私の向かいにいた老人は六十代の後半に見えた。痩せてはいたが、胸板は厚く、日に焼けた手の甲には古い切り傷がいくつも走っていた。
彼は私の酸素袋を押し戻した。
「若い人が使いなさい。私は黄河の風で肺を鍛えた」
強がりかと思ったが、老人は五道梁でも吐かなかった。代わりに、具合を悪くした乗客の背をさすり、運転手がタイヤを調べるあいだは路肩へ降り、凍った風の中で煙草を吸った。
夜、車は風を避けられる道路班の詰所近くに停まった。
乗客は服を着たまま横になった。暖房を切ると窓の内側がすぐに凍り、眠りへ落ちかけるたび、誰かの苦しそうな呼吸が暗闇から聞こえた。
老人だけは眠らず、小さな魔法瓶から湯を注いでいた。
「高い場所では、寝ている者を急に起こすな」
彼は私に言った。
「まず胸が動いているか見る。次に唇の色を見る。生きている者と、そうでない者は、慌てると見分けがつかん」
なぜそんなことを知っているのかと訊くと、老人は窓の霜を指で拭った。
外には月明かりを受けた雪原があり、道路標識の影が一人の立つ姿に見えた。
「水辺でも同じだ。浮いているものが人に見えても、すぐ手を出すな。人でないこともあるし、人なら、見えている部分だけ引いてはいけない」
その時は、黄河で遺体の引き上げを手伝った経験があるのだろうと思った。
翌朝、車が走り出してからも、彼の言葉だけが耳に残った。老人はもう何も説明せず、遠ざかる標識を見ていた。
拉薩へ着くと、老人は世話になった礼だと言って、私を旧市街の小さな食堂へ連れていった。
青稞酒が三杯目に入った頃、私は彼の左手首に細い傷が一周しているのに気づいた。縄で長く縛られたような痕だった。
「黄河でついた傷ですか」
私が訊くと、老人は杯を伏せた。
「黄河ではない。黄河から少し離れた穴でついた」
彼はしばらく黙り、店の窓に映る自分の顔を見た。
「あの穴は、今はもうない。だから話しても、誰にも迷惑はかからんだろう」
老人は自分を周と名乗った。もちろん、それが本名だったかどうかは分からない。
祖父も父も黄河沿いで働き、渡し舟を操り、網を直し、増水時には堤防へ土嚢を積んだという。周自身も若い頃、治水関係の機関で車両や資材の管理に携わった。
彼は河兵の歴史や、民国期に幾度も名称を変えた治河機構の話をしたが、自分の家系を権威づけるような言い方はしなかった。
「河を相手にする家は、系図より水位標を信じる。昨日の功績も、今日の増水には役に立たん」
そう言ってから、周は一九五三年末の鄭州へ話を戻した。
彼が最初に覚えている鄭州は、建物より土の匂いが強い町だった。
荷車が通るたび黄埃が舞い、雨が降れば同じ道が粘土の川へ変わった。新しい機関の表札は立派でも、机は開封から運んだものを使い、図面棚の扉は湿気で閉まらず、宿舎の窓には新聞紙を貼って寒風を防いだ。
周の仕事は華々しい治水計画とは程遠かった。
朝、車庫の鍵を開け、トラックの燃料を記録し、濡れた測量縄を中庭へ干す。増水の知らせが入れば、夜中でも運転手を起こし、土嚢、杭、石灰、縄を積んで堤防へ送り出す。戻ってきた車の荷台には黄泥と折れた葦、時には片方だけの靴が残っていた。
「河は、何でも運んでくる。上流の木、家畜、鍋、死人の戸板。だが、持ち主の名札までは運んでこない」
老人はそう言った。
名のない物は倉庫の片隅へ集められ、一定期間が過ぎると処分された。周は一度、水で膨らんだ子供用の布靴を焼却炉へ入れられず、槐の根元へ置いたことがあった。
翌朝、その靴は枝から赤い糸で吊られていた。
誰かが招魂のまねをしたのだろう。周はそう考え、糸を切って靴を処分した。
その晩から三日間、宿舎の廊下で、濡れた小さな足が歩く音を聞いた者がいた。
周自身は聞いていない。
しかし、四日目の朝、雑巾を持って廊下へ出ると、床板の上に泥の丸い跡が並んでいた。子供の足跡と呼ぶには指がなく、水滴と呼ぶには左右へ規則正しく分かれていた。
彼は誰にも言わず、それを拭いた。
一つ拭くたび、濡れた布から川底のような臭いが上がった。最後の跡は廊下の端ではなく、壁の前で途切れていた。
壁の向こう側には、まだ造成されていない空き地と、あの老坑があった。
後になって周は、記憶の順序を疑うようになった。靴を拾ったのは老坑の噂が広がる前だったのか、後だったのか。赤い糸は本当に枝へ結ばれていたのか。それとも、女の遺体を見た後の心が、過去の靴へ赤色を塗ったのか。
「歳を取ると、記憶は河に似てくる」
「流れた場所は残るが、どの水がいつ通ったかは分からなくなる」
それでも老坑の位置だけは忘れなかった。宿舎の北東、槐の影が午後になると届く場所。雨が降らなくても水面がわずかに震え、冬の朝だけ薄い霧が穴の縁より低く溜まる場所だった。
第二章 槐の下の新庁舎
黄河を管理する機関の一部が開封から鄭州へ移った当初、周は二十歳になったばかりだった。
新しい職場の周辺には、まだ畑と空き地が多く、夜になると市街の灯が途切れた。古い墓と新しい工事現場が隣り合い、掘り返した土から割れた瓦や人骨らしきものが出たという噂も絶えなかった。
近くには、何人もの腕を回してようやく届くほど太い槐があった。
夏の日差しさえ通さない枝の下には、赤い布切れや子供の片方だけの靴が結ばれていた。熱を出して魂を落とした子の名を母親が呼び、衣服を木へ預けて連れ戻すのだと、地元の女たちは説明した。
周はそれを信じていなかった。
ただ、槐の上に集まる烏の数だけは不気味だったという。夜半、何かに驚いた群れが一斉に飛び立つと、暗闇そのものが破れて空へ舞い上がるように見えた。
宿舎から少し外れた低地には、雨水の溜まる大きな窪地があった。
地元の古老は「老坑」と呼んだ。丸い池ほどの広さで、底の一角から冷たい水が湧いた。周辺の土は赤褐色で、夏でも草の育ちが悪かった。
隕石孔だと言う者もいれば、古い採土坑、地下水による陥没、あるいは城壁を築いた時代の遺構だと言う者もいた。誰も測量したわけではなく、話すたびに穴は深くなった。
若い周たちは、そこへ空き缶や割れた煉瓦を投げた。水音が返るまでの時間を数え、底なしだと笑った。
だが、笑えない出来事が続いた。
夜中に宿舎を出た男が、翌朝、その窪地の浅瀬で倒れているのを発見された。詳しい死因は若い職員へ知らされなかった。
真夏に槐の下で寝た出張者が、朝になって起きなかったという話も広まった。心臓発作だったとも、酒を飲んでいたとも言われた。
さらに交通事故や急病が重なると、人々は個々の事情を忘れ、すべてを老坑へ結びつけ始めた。
夜勤者は穴の近くで女の泣き声を聞いたと言った。
水を覗いた者は、自分ではない顔が水面から見上げていたと言った。
合理を掲げる職場で、その種の話を正面から口にする者はいなかった。だが、窓の戸締まりを確認する回数は増え、夜の巡回路から老坑の脇だけが自然に外された。
周は後年、紫荊山一帯が商代の都市遺跡を含む土地であると知った。
しかし、三千年以上の遺跡があることと、職場で人が病み、事故に遭うことは別の問題である。古さは怪異の証明ではない。
それでも、夜明け前の槐の根元から、誰もいないのに濡れた足跡が老坑まで続いているのを見たときだけは、周も理屈を探すのをやめた。
足跡は穴の縁で終わっていた。
水へ入った跡ではなかった。
穴の側から上がってきて、そこで人の形を失ったように、左右の足形が一つの黒い染みへ重なっていた。
第三章 二尾の鯉
職員たちの不安が仕事へ影響し始めると、上役は老坑を埋めることにした。
衛生上の危険をなくし、蚊の発生を抑え、用地を整備する。それが表向きの理由だった。
資材係だった周は、生石灰と土砂を手配した。後年の彼は「二十台だった」と語ったが、若い日の記憶に車列の長さが混じった可能性はある。確かなのは、何日もかけて大量の資材が運び込まれたことだった。
最初に生石灰を落とすと、坑の水が煮えたように泡立った。
白い蒸気が立ち、魚とも泥ともつかない臭いが漂った。作業員の一人が、湧水の音に混じって女の咳を聞いたと言い出した。
別の男は、石灰が熱を持つ音だと叱った。
その夜、雨は降っていないのに、埋めた土の中央が大きく陥没した。
翌朝、もう一度土を入れた。さらに黄河の浚渫土を重ね、表面を固めた。それでも地下から水が染み出すため、上役は排水を兼ねた小さな水槽を造らせた。
ここまでは土木工事だった。
ところが、いつの間にか、その配置へ「意味」が加えられた。
誰が最初に提案したのか、周の話は曖昧だった。南方から来た地理師だったとも、地元の石工だったとも、単に上役の知人が縁起を担いだだけともいう。
桃の木を植え、水槽へ二尾の黄河鯉を放し、その前に石を立てる。
石は山東から届いた。高さは子供の胸ほどで、正面に「泰山石敢当」の五字が刻まれていた。
石敢当は、家屋の角や道の突き当たり、橋のたもとなどに据え、外から来る災いを受け止める民俗的な石碑である。泰山の名と結びついたものは各地へ広まり、家の守りとして今も目にすることができる。
だが、老坑に置かれた石が伝統的な作法に則っていたかどうかを、周は知らなかった。
「我々は半分だけ信じた。半分だけというのが、一番よくない信じ方だ」
老人は青稞酒を飲みながら言った。
「効けばありがたい。効かなければ迷信だったと笑う。石にも神にも、こちらの都合しか尋ねなかった」
石を据えた夕方、二尾の鯉は新しい水槽の中をゆっくり回った。
不思議なことに、槐の下を通る冷気が弱まったと皆が言った。夜勤者が聞いた女の声も止み、少なくとも一週間近く、職場で大きな事故は起きなかった。
それが石の効果だったのか、人々が安心したためなのか、周には分からない。
ただ一つ、魚の動きだけが気にかかった。
二尾は水槽の端から端まで泳がず、石敢当の影が落ちる狭い場所を、互いの尾を追うように回り続けた。
一日目も、二日目も、三日目も。
七日目の午後、片方の鯉が水面へ口を出した。
その口は餌を求めていたのではない。
水のない場所で溺れるもののように、何度も大きく開閉していた。
第四章 煉瓦茶の夜
その晩、季節外れの激しい雨が鄭州を襲った。
黄河の増水を警戒し、職場には臨時の当直が置かれた。周を含む若い職員数人は、事務室で電話と無線の連絡を待った。
当直には内蒙古出身の女性職員がいた。彼女は鍋に水を沸かし、硬い煉瓦茶を包丁の背で欠いて放り込んだ。煮出した濃い茶へ少量の乳を加え、皆へ配った。
窓の外では、雨が白い縄のように落ちていた。
屋根を叩く音があまりに大きく、会話のたびに身を乗り出さなければならなかった。彼らは堤防のこと、家族のこと、いつか行ってみたい新疆や西藏のことを話した。
「若い頃の私は、あの夜を恐ろしい夜として覚えていない」
拉薩の食堂で、周は言った。
「むしろ、温かかった。濡れた靴をストーブのそばへ並べ、皆で同じ茶を飲んだ。人間は後から起きたことに合わせて、過去の色を塗り替える。だが、あの時間だけは暗くしたくない」
午前一時過ぎ、老坑の方角で金属が倒れる音がした。
見回りへ出ようとした周を、女性職員が止めた。
「朝まで待ちましょう。水の近くへ行く必要はないわ」
それは怪異を恐れた言葉ではなく、大雨の夜に窪地へ近づくなという常識的な判断だった。
周たちは扉の内側へ机を寄せ、朝まで交代で起きていた。
夜明けが近づくと、雨音が少し弱くなった。
事務室の外へ出ると、構内の低い場所は膝近くまで冠水していた。桃の若木は根元から傾き、水槽の縁は泥水に呑まれていた。
二尾の鯉は見当たらなかった。
水槽の底には、魚が回り続けて削ったような円い筋だけが残っていた。二つの円は途中で重なり、石碑の台座があった場所へ向かって一筋の溝になっていた。
水槽から溢れたのか、誰かが逃がしたのか。茶を淹れた女性職員が、濁流の表面を指さした。
黒い筋が、水の中をゆっくり移動していた。
周は初め、それを藻か、桃の根だと思った。
近づくにつれ、一本一本が水を含んだ髪であることが分かった。
「人だ」
誰かが叫んだ。
水の下で、赤い布が揺れた。
第五章 石を負う女
連絡を受けた者たちが集まり、やがて公安関係者も到着した。
長い鈎で髪を引こうとすると、遺体はびくともしなかった。底の泥へ吸い込まれているのか、何か重いものが結びつけられているらしかった。
泳ぎの達者な男が縄を腰へ巻き、水へ入った。
しばらくして、男は青い顔で浮かび上がった。
「背中に石がある」
数人が縄を引いた。
泥水の中から、まず赤い袖が現れた。続いて、頭から被せられた赤布、泥で黒ずんだ長衣、そして背へ荒縄で縛られた灰色の石が上がった。
女性の年齢も身元も、周は最後まで知らされなかった。
鮮紅の衣は婚礼衣装のようにも、地方劇の衣装のようにも見えた。しかし、顔を覆う布と全身を包む衣が同じ用途のものだったかは分からない。
濡れた布には刺繍があった。
蓮にも雲にも見える輪郭だったが、泥が糸目へ入り込み、元の色も文様も判然としなかった。片方の袖口だけが新しく、もう片方は何年も箪笥に仕舞われていた布のように褪せていた。
足には靴がなかった。
裸足の踵には、老坑まで歩いた者なら残るはずの擦過傷も、泥の中を引きずられた者なら付くはずの傷も見えなかったと周は記憶している。ただし、その記憶を彼自身、信用してはいなかった。夜明けの雨中で一度見ただけの遺体を、人は何十年後まで正確に覚えていられるものではない。
公安関係者が人垣を下がらせ、赤布で顔を覆い直した。
そのとき、遺体を裏返すため縄へ手を掛けた男が、低い声を上げた。
「これは、どこから持ってきた石だ」
女の背に縛られた石は、単なる重しではなかった。
水を吸った荒縄の下に、鑿で彫られた文字の縁が覗いていた。泥を布で拭うたび、四角い石の表面から一画ずつ線が現れた。
最初に山の形を含む字が出た。
次に、左右へ踏ん張るような太い横画が出た。
周囲の誰も口を開かなかった。何が現れようとしているのか、皆が途中で理解したからである。
そして背中の石には、逆さになった五つの文字があった。
泰山石敢当。
昨日まで魚池の前にあった石碑だった。
縄は女の胴と碑を何重にも巻き、濡れて皮膚へ食い込んでいた。自ら結んだのか、誰かに結ばれたのか、若い周には判断できなかった。
この点について、老人は何度も言葉を選んだ。
「事件だったのかもしれない。事故ではないことだけは分かる。だが、私は捜査をした人間ではない」
彼は、誰かが女を殺したとも、組織が何かを隠したとも言わなかった。
ただ、石を据えてから遺体が見つかるまでが、暦の上でちょうど七日だったと記憶していた。
地理師が「七日を越せば鎮まる」と予言した、という話は事件の後で生まれた可能性がある。人々は偶然へ形を与えるため、前触れを過去へ書き足すものだからだ。
しかし、周自身には書き換えられない記憶が一つあった。
遺体を引き上げた直後、石碑の文字を上にして地面へ置いたとき、五字の溝から細い水が流れ出した。
最初は無色だった。
だが「当」の字へ達すると赤くなり、泥の上に一本の線を引いた。
その線は老坑へ戻らなかった。
槐の木の方角へ伸び、太い根の手前で地中へ消えた。
その朝から、職場では女の身元に関する噂が増殖した。
近所で姿を消した芸人だった。昔、穴で死んだ者の娘だった。墓を移された家の未亡人だった。赤い服を着た「身代わり」を用意しなければ、石が七日目に人を選ぶのだ——。
どれも証拠はなかった。
周は噂を嫌った。名前のない死者へ、面白半分に新しい人生を着せる行為は、遺体へもう一枚の赤衣を被せるのと同じだと思ったからである。
老坑は再び埋められた。
今度は水抜きの工事が行われ、砕石が入り、上から土が固く転圧された。石敢当は証拠品として運ばれたのか、廃棄されたのか、それ以後見た者はいなかった。
職員たちは日常へ戻った。
だが、雨の夜になると、構内の排水溝から赤い糸が流れてくるという話だけは、長く残った。
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