序章 荒野の聖書と、公認された怨霊
アメリカン・フォークロア・ホラーの底には、新大陸特有の「荒野の孤絶」が横たわっている。聖書の一節とフリントロック式猟銃を手に原生林へ分け入ったヨーロッパ系開拓者たちは、先住民族がすでに暮らしていた土地を、自分たちの信仰の側から「神の恩寵がまだ届かぬ荒野」と見た。その偏った恐怖の視線もまた、のちの怪談を育てた土壌である。
日本の怪談が、水気を帯びた陰湿な怨念として背後に佇むものだとすれば、アメリカ南部ゴシックの怪異は、木材を叩き折り、生者の肉体へ直接爪を立てる物理的な暴力として顕現する。
その系譜の頂点にあり、アメリカ南部の民俗史に異彩を放つのが、テネシー州ロバートソン郡アダムズ、レッド・リバー沿いの開拓地で起きたと語られる「ベル魔女(ベル・ウィッチ)事件」である。
全米のゴースト・ストーリーの中で、この事件はしばしば「後の大統領が遭遇し、悪霊による死を司法が認めた唯一の事件」と紹介される。しかし、そうした結論を裏付ける同時代の検視記録や公文書は、現在まで確認されていない。別格なのは公認されたからではなく、伝承があまりに精密な“記録の顔”を獲得したからだ。
現在知られる物語の骨格は、事件から七十年以上を経た一八九四年、新聞編集者M・V・イングラムが刊行した『An Authenticated History of the Famous Bell Witch』によって定着した。以下では、その後世の記録と口承が作り上げた恐怖を、史実と断定せず、一つの完成された伝説として辿る。
第一章 1817年、境界の獣たち
惨劇の幕が上がったのは、1817年の初秋であった。
ノースカロライナ州からテネシーの肥沃な土地へと移住してきたジョン・ベルは、広大な千エーカー余りの農地を拓き、バプテスト教会の敬虔な信徒として、また一族の厳格な家長として村人から深い信望を集めていた。当時五十代半ばのジョンは、開拓者特有の鋼のような体躯と不屈の意志を持つ男であった。
ある夕暮れ時、ジョンは自らのトウモロコシ畑を巡回していた。黄金色に実った茎が風に擦れ合う乾いた音の中、ふと畝の切れ間に「それ」がうずくまっていた。
体躯は大きな猟犬のようであった。しかし、その頭部は奇妙に歪んでおり、野兎のそれにも似た長い耳と、赤く濁った眼球を持っていた。その眼は、明らかに知性を宿し、嘲笑うような光を湛えてジョンを凝視していた。
ジョンは即座に肩から猟銃を外すと、その異形に向けて発砲した。銃声が谷間に反響し、鉛の弾丸が確かに肉を裂いた鈍い感触があった。だが、煙が晴れ、ジョンが駆け寄ったとき、そこには血の一滴も、倒れた獲物の毛すら残されていなかった。
数日後、今度はジョンの息子であるドルーとジョン・ジュニアが、庭の巨大なオークの梢に止まる「巨大な黒い鳥」を目撃した。
それはカラスのようでもあり、野生の七面鳥のようでもあったが、翼を広げると大人の男の背丈ほどもある異常な怪物であった。ジョンが再び引き金を絞り、鳥は重い音を立てて落下したように見えた。しかし、息子たちが落ちたはずの藪を必死に掻き分けても、そこには踏み荒らされた形跡すら存在しなかった。
さらに奇妙な幻影は続いた。末娘のベッツィー(エリザベス)と召使いたちは、夕暮れの森の境界で「木々の間を滑るように歩く、緑の絹ドレスを着た見知らぬ女」を目撃し、またある黒人の使用人は「二つの頭を持つ異形の黒犬」に道を塞がれたと証言した。
自然界の法則を公然と踏みにじるこれら不気味な幻獣の出現は、ベル家を標的とした目に見えぬ「悪意」が、その包囲網を徐々に縮めている証左に他ならなかった。
第二章 夜を削る爪音と、神学を論じる声
間もなく、怪異は屋外の幻惑から、密閉された家屋の内部への「侵略」へと段階を進めた。
夜が訪れると、ベル家の丸太小屋は、言語を絶する騒乱の檻へと変貌した。
まず始まったのは音の暴力であった。分厚いオーク材の頑丈な玄関扉や窓枠を、外側から巨大な獣の爪がガリガリと引っ掻き回す音が何時間も鳴り響いた。それはやがて、重い鎖を引きずる金属音、濡れた毛布を天井に打ち付けるような鈍い衝撃音へと変わっていった。
さらに家族を苛んだのは、寝室のベッドポスト(四柱の木製支柱)から響く音であった。闇夜の中、無数の巨大なドブネズミが硬い木材を骨ごと削り取っているかのような、ギリギリ、カリカリという不快極まる咀嚼音が、枕元で執拗に繰り返されたのである。朝になって確認すると、ベッドの支柱には人間の歯型とも獣の爪痕ともつかぬ、生々しい削り傷が刻まれていた。
やがてその見えざる力は、物理的な攻撃を生身の人体へと向け始めた。
標的となったのは、当時十二歳であった最愛の末娘、ベッツィーであった。
深夜、ベッツィーの寝室から皮膚を裂くような絶叫が上がった。
ランプを手にした両親が部屋へ飛び込むと、ベッツィーは見えない何者かによって足首を掴まれ、ベッドから宙へと引きずり出されていた。彼女の豊かな金髪は、まるで何本もの屈強な指に鷲掴みにされたかのように天井に向かって引き上げられ、身体は空中に浮遊していた。
「パパ! 痛い! 誰かが私を叩いているの!」
父親が狂乱して娘の身体を抱き留めようとしたその瞬間、乾いた破裂音が寝室に轟いた。
ピシャアン、ピシャアン!
何もない虚空から、目に見えない平手打ちが猛烈な勢いでベッツィーの顔面に叩き込まれたのだ。娘の白い頬には、指の形をした赤黒い皮下出血が鮮明に浮き上がり、首筋や腕には鋭い爪で掻きむしられたような血の筋が走った。
毛布は力任せに剥ぎ取られて暖炉の灰の中に投げ込まれ、見えない針が彼女の全身を無慈悲に突き刺した。
恐怖が極点に達したのは、それまで物理的な破壊を繰り返していた実体が、ついに「言葉」を獲得した瞬間であった。
当初、それは天井の隅やベッドの底から漏れ聞こえる、風の擦れ合うような低い囁き声に過ぎなかった。だが日を追うごとに声は明瞭さを増し、やがて室内に響き渡る、嗄れた、しかし耳を劈く老婆のような金切り声へと成長した。
その実体は、自らを「ケイト」と名乗った。
近隣に住み、かつてジョン・ベルと奴隷の売買や境界線の土地取引を巡って激しい金銭トラブルを起こしていた偏屈な女性、ケイト・バッツの生霊(あるいはその名を騙る怨霊)であると自称したのである。
「ケイト」の知性は、粗野な悪霊の域を遥かに越えていた。
彼女は聖書の全篇を暗誦し、バプテストとメソジストの教義の微細な矛盾を突いて神学者たちを論破した。それどころか、十三マイルも離れた教会で牧師がその瞬間に信徒へ語っている説教の内容を、一言一句違わずにベル家の居間で同時に復唱してみせた。
時に敬虔な讃美歌を美しく歌い上げたかと思えば、次の瞬間には卑猥極まる酒場の俗謡をがなり立て、ベル家の客人たちの過去の不貞や秘密の罪を白日のもとに晒して嘲笑した。
全米から集まった牧師や自称霊能力者たちが聖水や十字架を手に祈祷を捧げても、ケイトは彼らの顔面に聖書を投げつけ、パイプの灰を頭から浴びせかけて嘲笑い、ことごとく精神崩壊へと追い込んで敗走させたのである。
第三章 大統領の屈辱——アンドリュー・ジャクソン来訪譚
後世のベル魔女物語を全米級の伝説へ押し上げたのが、一八一九年秋の「将軍来訪譚」である。アンドリュー・ジャクソン本人の日記や公文書に訪問の裏付けはなく、ここから先はイングラム以後に広く流布した挿話として読まれたい。
当時、ニューオーリンズの戦いで英国軍を壊滅させ、一躍国民的英雄となっていたアンドリュー・ジャクソン将軍——後の第七代アメリカ合衆国大統領の来訪である。
ジャクソンはナッシュビルの私邸「ハーミテージ」から、ベル家の息子たち(かつて彼の指揮下で戦った元兵士たちであった)の悲痛な訴えを聞き及んでいた。豪胆にして冷徹、決闘で数々の銃弾を身体に受けながら生き延びてきた歴戦の軍人は、粗野な開拓民たちの「幽霊話」を鼻で笑い飛ばした。
「無学な田舎者が集団ヒステリーに罹っているに過ぎん。私が部隊を率いて乗り込み、そのペテン師の化けの皮を剥いでみせよう」
数頭の駿馬に牽かせた豪奢な幌馬車と、武装した屈強な従者たちを従え、将軍は意気揚々とベル家の敷地へと進軍した。
だが、馬車が農場の境界線を越え、ベル家の母屋が見えるなだらかな丘に差し掛かったまさにその時、異常事態が発生した。
馬車の車輪が、まるで泥の底へ溶接されたかのように、ピタリと停止したのだ。
地面は乾燥した硬い赤土であった。車輪の前に石が挟まっているわけでもない。御者が激しく馬に鞭を当てても、名馬たちは鼻息を荒げて嘶くだけで一歩も前に進めない。
屈強な兵士たちが総出で車輪に肩を当て、力任せに押し込もうとしたが、馬車は巨岩のように微動だにしなかった。
ジャクソンが怪訝に眉をひそめ、「これはどうしたことだ」と呟いたその瞬間——。
乾いた秋の空気の中から、鈴の音を硬化させたような、金属的な高い女の笑い声が響き渡った。
『ジャクソン将軍! 馬車はそのまま進ませてあげるわよ。今夜、あなたに会えるのを楽しみにしているわ!』
その言葉が空中に消えた刹那、あんなに重かった馬車が何事もなかったかのように軽々と動き出し、馬たちは前へと歩み始めた。将軍の顔から、完全に血の気が引いていた。
その夜、ジャクソン一行はベル家の広間に野営の陣を敷いた。
一行の中には、将軍が特別に同伴させていた「魔女ハンター」を自称する男がいた。その男は、腰のホルスターから鈍く輝く特製の銃弾を抜き、周囲の兵士たちに誇らしげに見せびらかしていた。
「見ろ、これは純銀で鋳造した『銀の弾丸』だ。いかなる魔物や悪霊であっても、この銃弾を撃ち込まれれば即座に消滅する」
男が銃に弾丸を装填し、大仰な呪文を唱えながら部屋の隅を睨みつけたその時だった。
突如として男の全身が硬直した。見えない巨大な拳が、男の鳩尾を撃ち抜いたのだ。
ぐえっ、という蛙の潰れたような悲鳴とともに男は床に倒れ込み、見えない力によって部屋中を激しく引きずり回された。男の鼻梁は砕かれ、着ていたコートはビリビリに引き裂かれ、見えない針で尻を無数に刺された男は、正気を失って絶叫しながら部屋の扉を突き破り、闇の中へと逃げ去っていった。
残されたジャクソンと部下たちを取り囲んだのは、絶対的な死の冷気であった。
蝋燭の火が青黒く沈み、家具が激しく天井へと舞い上がり、床が地震のように波打った。将軍の耳元で、ケイトの冷酷な囁きが嘲笑を浴びせ続けた。百戦錬磨の軍司令官のサーベルも、歴戦の勇気も、物理的な質量を持たぬ純粋な暴力の前には一片の塵に過ぎなかった。
翌朝の太陽が昇る前、ジャクソン将軍は寝具を片付ける暇すら惜しんで馬に跨がり、部下たちを怒鳴りつけながらベル家の敷地から脱出した。
後に大統領となったジャクソンは、この悪夢の一夜を苦渋に満ちた言葉で振り返った——と、後世の物語は伝えている。
「私は、あのベル家でたった一晩を過ごすくらいなら、大英帝国の全艦隊を相手に孤軍奮闘する道を選ぶ」
だが、国家の英雄すらも一蹴したこの見えざる怪異は、単なる示威行動に満足してはいなかった。
その矛先は、最初からただ一人の男の「命」へと冷酷に絞り込まれていたのである。
第四章 黒い毒液と、暖炉に爆ぜる青火
1820年の秋を迎える頃、家長ジョン・ベルの肉体は不可解な崩壊の極致に達していた。
魔女は家中の空間から、執拗に同じ言葉を呪詛のように響かせ続けていた。
『オールド・ジャック(ジョンの蔑称)を殺す。あいつの息の根を止め、地獄の底へ引きずり下ろすまで、私は決してここを去らない』
かつて筋骨隆々としていた開拓者の体躯は見る影もなく衰弱し、ジョンは激しい神経系の発作に襲われるようになった。
彼の顔面は奇妙に歪んで片側が麻痺し、舌は異常に肥大化して口腔を満たし、もはや言葉を紡ぐことも、流動食を飲み込むことすら叶わなくなった。現代の医学的見地から見れば、これは顔面神経麻痺(奇しくもチャールズ・ベルの名を冠する「ベル麻痺」に酷似している)あるいは重篤な脳幹梗塞の症状にも見える。しかし、その進行と症状の悪化は、常にケイトの声による予告と完全に連動していた。
運命の日となったのは、1820年12月19日の朝であった。
ジョンは寝室で深い昏睡状態(昏睡性混迷)に陥り、呼吸は浅く途切れがちになっていた。駆けつけた主治医のジョージ・ホプソン医師は首を横に振り、家族に覚悟を促した。
その時、長男のジョン・ジュニアが、父の枕元にある薬品棚(戸棚)の中に、見慣れない「小瓶」が紛れ込んでいることに気付いた。
医師が処方した薬瓶とは全く形状の異なる、古びた暗緑色の硝子瓶。
中には、コールタールのように粘り気のある、悪臭を放つ漆黒の液体が満たされていた。
「先生、これはあなたが処方したものですか?」
ホプソン医師は瓶を手に取り、眉をひそめて強く否定した。「いや、私はこんな恐ろしい薬液を処方した覚えはない」
その瞬間であった。
部屋の隅の暗がりから、腹の底を震わせるような、あのケイトの耳障りな高笑いが爆発した。
『ヒャッハッハッ! 探しても無駄だよ! それはね、昨日の夜、オールド・ジャックが寝ている間に、私がたっぷりとあいつの喉へ注ぎ込んでやった特製の薬さ! 効き目抜群だろう? もうあいつは起き上がれないよ!』
ジョン・ジュニアは激怒と戦慄に震えながら、真相を確かめるべく庭へ走った。
彼は農場をうろついていた野良猫を捕まえ、その黒い毒液を藁の先にほんの一滴だけ浸すと、猫の舌の上に垂らした。
結果は惨絶を極めた。
猫は一瞬にして全身を弓のように反らせ、前足を痙攣させると、悲鳴を上げる間もなく数分と経たずに息絶えたのである。それは、生体の神経と内臓を一瞬で麻痺させる猛烈な劇毒であった。
ジョン・ジュニアは怒りに狂い、その呪われた硝子瓶を居間の暖炉の燃え盛る薪の中へ力任せに投げ込んだ。
刹那——ドォン! という重低音とともに、暖炉から目も眩むような鮮烈な「青い閃光」が噴き上がった。
炎は煙突の頂点まで龍のように渦を巻いて駆け上がり、部屋中を焦げた硫黄のような、そして腐敗した肉のような猛烈な異臭が覆い尽くした。
翌朝、1820年12月20日の夜明け。
呼吸を乱していたジョン・ベルは、一度も意識を取り戻すことなく、苦悶の表情を顔に張り付かせたまま、静かに絶命した。
彼の心臓が鼓動を止めたその瞬間、母屋の屋根全体が激しく震動し、家中の空間から、勝利を祝うケイトの歓喜の絶叫が木霊したという。
第五章 墓畔の酒神歌と、検視官の記録
ジョン・ベルの死は、静かな哀悼のうちに送られることすら許されなかった。
冷たい雪が舞い散る中、レッドリバーの墓地において執り行われた葬儀には、怪異の噂を聞きつけた数百人もの村人や教徒たちが参列した。重厚な木製の棺が冷たい泥の底へと降ろされ、バプテスト教会のジェームズ・ガント牧師が震える声で哀悼の祈祷を捧げ始めたその時だった。
参列者全員の頭上の虚空——何もない鉛色の冬空から、突如として雷鳴のような大音声が降り注いだ。
それは祈りの言葉を嘲笑うかのような、極めて陽気で、卑俗な「酒場の飲み歌」であった。
『さあ、ブランデーを注いでおくれ! オールド・ジャックは地獄へ落ちた! さあ、もっとブランデーを!』
("Row me up some brandy, O!...")
見えざる魔女は、数百人の会葬者を取り囲むように旋回しながら、手拍子を打つような音とともにその猥雑な歌を狂ったように歌い続けた。牧師が祈りを絶叫に変えて聖書を掲げても、ケイトの歌声と高笑いは墓地全体に響き渡り、土が完全に棺を覆い尽くし、恐怖に駆られた人々が蜘蛛の子を散らすように墓地から逃げ出すまで、その凱歌が止むことはなかった。
ジョンの埋葬後、ロバートソン郡の検視当局が怪死を公式に調査した——という有名な結末が、現代の再話ではしばしば付け加えられる。
その再話によれば、検視官、保安官、医師たちは毒液の痕跡と大勢の供述を前にし、生身の容疑者を起訴することも、自然死として片付けることもできなかったとされる。
そして、失われた公的報告書に次の結論が記された、と語られる。
「故人ジョン・ベルの死因は、正体不明の超自然的な実体による反復的な加害、およびその毒物投与によるものと断定する」
だが、この文言を載せた同時代の報告書は確認されていない。「司法が悪霊による他殺を認めた唯一の事件」という触れ込み自体が、ベル魔女伝説の一部なのである。事実の証明にはならない。
それでも、法の文体を借りた一文は、怪談に不気味な現実味を与え続けてきた。
第六章 百七年の盟約、洞窟の深淵
家長の命を奪い去った魔女の目的は、ほぼ達せられたかに見えた。
残された最後の標的は、愛する父を奪われ、心身ともに憔悴しきっていた娘のベッツィーであった。
当時、成長したベッツィーには、将来を誓い合ったジョシュア・ガードナーという誠実な婚約者がいた。村人たちも二人の結婚を心から祝福していた。
しかし、ケイトはこの婚姻を激しく忌み嫌った。
夜ごとベッツィーの枕元に現れては、その耳元で冷酷な脅迫を囁き続けた。
『ジョシュアと結婚してみなさい。お前の子供を全員、産まれたその日に絞め殺してやる。お前の一族を根絶やしにしてやるよ』
婚約者のジョシュア自身にも容赦のないポルターガイスト現象と命の危険が及び、自らが愛する者をこれ以上地獄に巻き込むことに耐えられなくなったベッツィーは、1821年の春、涙を呑んで婚約の破棄を宣言した。
その知らせを聞き届けると、母屋の空中でケイトが満足げに息を吐く気配がした。
『これで私の仕事は終わった。私はここを去る。……だが、忘れるな。七年後の1828年に、私は必ず戻ってくる』
言葉通り、騒動は潮が引くように収束した。
そして予告通り七年後の1828年、成長して農場を継いでいた長男ジョン・ジュニアの前に、ケイトは再び姿を現した。しかしその時の彼女は、かつてのような破壊的な暴力を行使することはなく、ただジョン・ジュニアの書斎に三週間にわたって留まり、世界の歴史の行方、来るべき南北戦争の勃発、そして合衆国の未来についての予言を淡々と語り聞かせたという。
そして去り際、彼女は最後の不吉な言葉を残していった。
『次は、百七年後の1935年に戻ってくる』
一九三五年、ベル家の直系子孫が謎の急死や家庭崩壊に見舞われたとも囁かれる。しかし、その詳細を確かめられる記録は見当たらず、予言もまた後世に伸び続けた伝説の枝と見るべきだろう。
現在、かつての広大なベル農場の片隅、レッド・リバーを見下ろす断崖の岩肌には、「ベル・ウィッチ・ケイブ(ベル魔女の洞窟)」と呼ばれる巨大な石灰岩の洞窟が、今なおぽっかりと黒い口を開けている。
現在の洞窟には、カメラの故障や、持ち帰った石が災いを招くという来訪者の語りが積み重なっている。ただし洞窟は初期の物語の中心ではなく、二十世紀以降に新たな伝承を生み続ける場所となった。
荒野を切り拓き、法と理性によって神の国を築き上げようとした新大陸の開拓史。
だが、その合理主義の表土をわずか一尺掘り返せば、そこには聖書の祈りすら嘲笑い、国家の英雄すら敗走せしめた「名もなき古き悪意」が、黒々と口を開けて脈打っている。
夜の帳が下りたレッド・リバーの静寂の中、耳を澄ませば——あの冷たいトウモロコシ畑の風の合間から、琥珀色の酒を求めて歌う老婆の嗄れた高笑いが、今もかすかに聞こえてくるようである。

まだコメントはありません。最初の読者として、この異聞の余韻を残してください。